ヘビメタ騒音でくるしいなぁ。けっきょく、中学生のころからかわらない。いや、小学生のころからか……。小学生のころからかわらない。どうしても、くるしい。あんな音で鳴らしやがって。このあいだ、となりのとなりの人と話をしたんだけど、ヘビメタ騒音のことを話したら「鳴ってたねぇ」って(となりのとなりの人が)言っていた。庭のことで話をした。この人のうちは、だいたい、二〇年間ぐらい空き家になっていたのだけど、もどってきた。当時を知っている人だ。
ともかく、くるしい。あれだけ言ったのに、まったく関係がない人として鳴らし続ける。きちがい兄貴にしたって、いま住んでいるマンションでは、一日に一分だって鳴らせない音で鳴らしていた。だから、きちがい兄貴の嫁さんは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音をなまで聞いたことがないのである。何度も言うけど、「うちだから」鳴らした。きちがい親父のうちだから、鳴らした。きちがい兄貴の態度が、きちがい親父の態度とおなじなのである。きちがい的な意地でやって、絶対にゆずらない。しかも、ゆずらなかったということがまったく記憶に残らないのだ。自分がやっているときに「やめてくれ」という内容のことを言われたら、真っ赤な顔になって、怒り狂う。で、その反応のときだけなんだよな。あとは、「なにも言われてない」と思って鳴らしている。これは、普通の記憶障害じゃない。ほんとうに、相手がこまるということがわかってない。自分だって、ほかの音で鳴らされたら、怒るわけで、相手がおこる理由はわかるはずなんだよ……。そんなことは、言わなくたってわかるはずのことなんだよ。けど、意識的にはわからない。そして、きちがい的な意地でやりきるのだけど、やりきったという記憶がない状態なんだよね。だから、いつもいつも「やっている」のに、「やってない状態」の記憶のままなんだよね。やってないつもりですごしている。だから、ほんとうに「つもりがない」のである。けど、アクティングアウトしている。きちがい的な意地でやっている。「やめろ」と言われたら、怒り狂って、脂汗をかいて、無言でやりきる。この時、やめさせるとしたら、殺さなければならない。そういう意地だ。けど、そういうひどいことになっているのに、本人は、まったくなにも起こらなかったという気持と感覚で生きている。ほんとうにまったく記憶にない状態に近い。あるいは、ほんとうにまったく記憶にない状態だ。そういう状態で、知らんぷりで、生きている。言えば、きちがい的な意地でやり続けて、ゆずらないのに、ゆずらなかったという記憶がないのだ。ゆずらずにやりきったという記憶がない状態で生きている。こういう、えげつなさ。こういう都合のよさ。自分にとってだけ、都合がいいように、記憶を書き換えている。こういうタイプのきちがい。
ほかの人は、関係がないから、絶対にわからないだろうけど、一日一日が、ひどいのである。究極の状態なのである。常に引き裂かれている。だれも、わかってくれない。ほかの人のうちに、そういうタイプのきちがいがいない。うちなんて、四人家族なのに、ふたりもそういうなちがいなんだぞ。これがどういうことか、ひとりもそういうきちがいがいなかった、人にはわからない。本人が震源地で、本人がきちがい的な意地でやるから問題が発生しているのに、まったく関係がない人として暮らしているのだ。この感覚は、ほんとうに、どれだけほかの人に言ったってわからない。そして、やっているほうは、ほんとうにやってないつもりなのだから、きちがい的な意地ですべての時間を使ってやるけど、なにもしてないつもりなのだ。こういう感覚。こういう認識。絶対、ほかの人はわからない。だから、そういう人によってつくりだされる、地獄についてもわからない。そういう感覚の家族によってつくりだされる、騒音地獄についても、わからない。わからないから、影響を過小評価して、あるいは、影響を無視して、好き勝手ないことを言う。家にいるきちがい家族がそういうタイプの人間だと、よその人間にも、バカにされるのだ。もう、これが決まっている。どんだけくるしいか、よその人間は、ほんとうにわかってない。よその人間は、経験してないからわからない。よその人間は、俺の経験をもってない。俺とおなじ経験をまったくしてない。どうしてかというと、家に、そういうタイプの家族がいないからだ。そういうタイプの家族が、騒音の出ることにこりきって、毎日、執着して執着して、執着して、執着して、頑固に頑固にやっているわけではないからだ。実際そういう人がいて、実際そういうことが、毎日生じてしまうと、ひどいことになる。ひどいことになるのだけど、ほかの人はわからない。こっちが働けなくなれば、「人間は働くべきだ」と言ってくる。こっちが働けなったな理由として、きちがいヘビメタのことを言えば、「そんなのは、関係がない」「そんなのは、あまえだ」と言ってくる。
こいつらは、こいつらで、くさっている。完全にくさっている。
きちがいの「無視」と、普通の人間の「無視」は、似ていないけど、似ている。しくみがちがうのだ。けど、「わからない」というところは、似ている。影響を無視するというところは似ている。きちがい兄貴の場合は、張本人なので「影響を無視する」のはおかしい。けど、やってない人は……張本人ではなくて、ただ、ぼくの話を聞いた人は、ぼくのうちでずっと、影響をあたえる原因になるヘビメタ騒音を鳴らしていない。鳴らしていない……あるいは、鳴らしていなかったという意味で、この人たちは、たしかに、自分が影響をあえる原因をつくったわけではないので、「関係がない」と言える。ヘビメタ騒音に関しては、関係がないのである。けど、関係がないから、影響がないとみなして、わかったようなことを言うというのは、問題がある。どうしてかというと、影響があるからだ。ヘビメタ騒音の影響がある。こいつらは、みんな、ヘビメタ騒音の影響を無視して、「人間は働くべきだ」「そんなのは、関係がない」「そんなのは、あまえだ」と言ってくる。こいつらは……。こいつらは……。