2023年5月18日木曜日

ところが、「XをすればYになる」というたいへん断定的な言葉が「ひとりあるき」をしてしまう

 たとえば、ブラック企業の社長が「楽しいと言えば楽しくなる」「楽だと言えば、楽になる」と言ったとする。これ自体は、まったく問題がないように見えるだろう。けど、こういうことが流布されると、実際につらい人が、もっとつらい思いをすることになるのである。ブラック企業の社長をCさん、ブラック企業の底辺従業員をDさんとする。Cさんは、別に、ほんとうに、つらい作業をしているわけではないので、つらくない。Dさんは、めちゃくちゃにつらい作業をしているので、つらい。けど、人間は「楽しいと言えば楽しくなる」という考えが正しいとするなら、Dさんは「楽しい」と言えば、つらい作業をしているときも「楽しくなる」はずなのである。人間というのは、そういう動物だということになっている。そして、Dさんは人間なので、当然、あてはまる。Dさんが、きつくてきつくてつらい作業をしているとき、「楽しい」と言えば、楽しくなるのである。連日の作業で疲労がつみかさなり、からだが重たくてしかたがないときも「楽だ」と言えば、「楽になる」はずなのである。これは、魔法的な解決法だ。だれにでもできる。「言えばいい」のだから、だれにでもできる。そして、人間なら、だれにでも、効くのである。効くということになっている。そういう文脈で、Cさんは、楽しいと言えば楽しくなる」「楽だと言えば、楽になる」と言っている。まさに、そういう意味で言っているのである。けど、ほんとうは、Cさんにしても、Dさんと同じ作業をすれば、苦しくなる。つかれる。つかれているのに、無理やり動くと、つらい思いをすることになる。ところが、自分はそういうことしなくていいのである。自分は、ほんとうに、楽なことしかやらないのである。だから、「楽だ」と言って、楽な気持になっている。だから、「楽しい」と言って、楽しい気持ちになっている。やっていることがちがう。ちがうにもかかわらず、その部分は捨象されている。最初から、人間という動物は「楽しい」と言えば楽しくなる動物だという意味で、「楽しいと言えば楽しくなる」と言っているのである。最初から、人間という動物は「楽だ」と言えば楽になる動物だという意味で、「楽だと言えば楽になる」と言っているのである。条件なんて関係がないのである。どういう作業をしているのかなんて関係がないのである。こういうことが、社会全体で繰り返されている。

生まれの格差について言及すると、底辺の人からも、「そんなのはあまい」「くばられたカードで戦っていくしかない」ということを言われる。生まれの格差はでかい。社会全体のなかでは、支配者層がCさんのような役目をして、被・支配者層がDさんのような役目をしているのである。条件がちがう。条件は無視できない。「楽だと言えば楽になる」というようなことは、ほんとうは、条件を無視して言ってはいけないのである。しかし、かならず、条件を無視して言うことになっている。「どんな条件だって」「どんな環境だって」「どんなにつらくたって」と条件を無視する、まくらことばのようなものすらある。これらの言葉が追加されなくても、そういう意味をもっているのである。つまり、条件は、かならず、無視される。しかし、条件こそが重要なのだ。

人間にかかわることを、まるで、物理現象のように、法則性をもったものとして言う場合の弊害がある。「人間なら、XをすればYになる」というような意味合いをもっているものは、すべて、個人の条件を無視している。個人の条件こそが、Yになるかどうかを決定している場合について考えてない。「ある特定の条件が成り立てば、XをすればYになる場合が多い」と言うべきなのである。ある特定の条件が成り立っている人間ですら、そうはならない場合がある。どうしてかというと、じつは、条件をそろえることができないからだ。ある条件だけを、かえるということができないのだ。人間だから、ほかの条件が成り立ってしまっている。ほかの無数の条件が成り立ってしまっている。なので、ひとつだけ条件をかえて、あとは、すべて条件をそろえるということができない。社会生活のなかで、その人なりの条件が成り立ってしまっている。まったくおなじ経験をした人というのがいない。出来事は、個別に、発生している。条件がそろうわけがないのだ。しかし、それを言っては、おしまいだから? なるべくほかの条件をそろえて、こういう条件だけをかえた場合は、どういう傾向があるだろうかということについて調べているのである。……学者やいろいろなことを考える人たちは。ところが、「XをすればYになる」というたいへん断定的な言葉が「ひとりあるき」をしてしまう。これは、支配者層にとっては、いいことだけど、被・支配者層にとっては、悪いことだ。いいかげん、気がつけ。これは、言ってみれば「法則性詐欺」だ。

 



毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。