ヘビメタ騒音のできなさや、ヘビメタ騒音期間中のできなさと言ったらない。ほかの人は、経験的にわかってないから、ぜんぜんわかってない。ぜーーんぜん、わかってない。もともと、経験がない人に、どういうふうに言ったって、おなじだ。つたわらない。おおざっぱに言っても、細かく説明しても、おなじだ。
ヘビメタ騒音の「できなさ」というのが、ひどいんだよ。みんな、ぜんぜん、わかってないけど……。ぜんぜんわかってないから、ヘビメタ騒音が鳴ってないときのぼくと、ヘビメタ騒音が鳴りはじめてからのぼくのちがいがわからないかもしれないけど、ヘビメタ騒音でぜんぜんちがう。もう、ぜーーんぜん、ちがう。つもりにつもった。〇にたい。〇にたいと、だれだって思う。あんな生活、ない。だれに言ってもわからないだろうけど、ものすごい、生活なんだよ。
けっきょく、ああいう生活が、十数年間続いて、そのあとは、ずっと、おなじような生活になってしまった。
ヘビメタ騒音はものすごいハンディ、で、ほんとうにできなくなる。けど、昨日も書いたけど、ヘビメタ騒音がなかった人たちが、きれいごとを言う。「できる」と言う。けど、ヘビメタ騒音の積み重ねで、「できなくなった」。これが、ほんとうの話だ。
ヘビメタ騒音のハンディがなかった人たちが、俺に対してきれいごとを言う。手短に言って、そんなきれいごとが成り立つ世界だったら、俺はヘビメタ騒音をあびてない。一日目の一〇分目に、やめてくれと、言いに行って、それで「かた」がついた。そのあと、鳴らない生活に移行したはずだ。きちがい兄貴が、きちがい兄貴でなければ、そもそも、その一〇分ですら、鳴ってない。きちがいだから、「このくらいいいだろう」と思って気にせずに鳴らしたんぞだ。きちがいだから……。気ちがいでなければ、絶対にあんな音で鳴らさない。きちがい兄貴だって、ほかのうちでは鳴らしてないじゃないか。ほかの場所では鳴らしてないじゃないか。うちだから、鳴らせた。それに相違ないのである。けど、その重要性が、これまた、ほかの人には、まったくわからないんだよな。けっきょく、ほかの人は、きちがい家族による騒音というものを経験してないから、ヘビメタ騒音の影響について過小評価する。そんなことじゃないんだよ。
耳栓をしてもだめなんだよ。あの音で鳴らされてたら、自分の部屋で、耳栓をしていても、だめだ。神経が破壊される。身にまとわりつく、あの、いやな感じと言ったらない。空気の振動、ひどすぎる。
おかあさんの部屋では、ヘビメタ騒音が鳴っているとき、眠れたけど、俺の部屋では眠れなかった。きちがい兄貴のスピーカーが近すぎる。