2023年5月18日木曜日

出来事とは関係なく、「自分のご機嫌を取る能力」だけが問題になる

 楽しいと言えば、どんなつらいときも、楽しくなる……とする。そうであるならば、そうしないやつが悪いということになってしまうのである。

出来事とは関係なく、不愉快な気持になったやつが悪い。条件とはまったく関係なく、つらい気持ちになったやつが悪いということになってしまうのである。

「人間」というものは「楽しい」と言えば、どれだけつらいときでも、「楽しくなる」動物だ……。この前提がおかしいのではないかと思う。

もちろん、「自分は、どんなつらいつきでも、楽しいと言うとほんとうに楽しくなる」とAという人が言った場合、自分のことにしか言及してない。「人間は」なんて言ってない。けど、いまの世の中というのは、条件が個人によってちがいすぎる世の中なのである。だから、ほんとうはつらい思いをしてない人が、「自分は、どんなつらいつきでも、楽しいと言うとほんとうに楽しくなる」と言ってしまうと、問題がしょうじる。もともと、生まれの格差・上の人と、生まれの格差・下の人が経験する「つらさ」の量がちがう。「つらさ」の質がちがう。「つらさ」の頻度がちがう。その場合、「どんな条件でも」とは言えない。ところが、条件を無視して、わかったようなことを言うのがはやっているのでそう言ってしまう。これは、カルマ理論とおなじ役割をする。生まれの格差・下だからこそ、つらい思いをしている人が、ただ単に、「自分のご機嫌を取ることが下手な人」になってしまうのである。生まれの格差・下だからこそ、つらい思いをしている人が、ただ単に、「自分のご機嫌を取る能力がたりない人」になってしまうのである。能力の問題になってしまう。そうなると、能力がないやつが悪いということになってしまうのである。みんな、おなじ量のつらさを経験している……けど……人によって……自分のご機嫌を取る能力がちがうので……自分のご機嫌を取る能力がない人は……つらい思いをすることになるのである。それは、「能力」のちがいだからしかたがないというとになってしまうのである。けど、おなじ量のつらさを経験しているという前提がまちがっているのである。しかし、あたかも、「おなじ量」のつらさを経験しているのだけど、自分のご機嫌を取る能力が高い人は、つらく感じないで、楽しく感じることができるということになってしまうのである。そうなった場合、やはり、能力がないやつが悪いんだということになってしまうのである。それなら、「つらい思いをさせた人」は、なんなんだということになる。「つらい思いをさせた人」は一切合切、責任を追及されないのである。ただ単に、「能力がない人が悪い」ということになってしまうのである。つらい思いをさせられたほうの処理能力のちがいに、すべてが、おとしこまれてしまうのである。ある出来事の特殊性、ある出来事の条件……そういったものが、すべて水に流されてしまう。「どんなにつらいことが起こっても」ということは「どんなにつらい思いをさせられても」ということを含んでいる。なので、両者の関係性は、そこでは、捨象されてしまうのである。「やったほう」と「やられたほう」……このちがいはおおきい。「やられたほう」にだけ責任をかぶせるのである。そして、処理できない……つらく感じるなら……つらく感じるやつが悪いということになってしまう。どうしてかというと、「こうすれば処理できるのにこうしないやつが悪い」ということになるからだ。能力のちがいは、個人の問題だから、その個人が責任をおう。たとえば、AさんがBさんの能力をどうにかすることができない……。それならば、Bさんの問題だからBさんの能力だけの問題だというとになってしまうのである。「自分のご機嫌を取る能力が低いからダメなんだ」ということになってしまうのである。出来事とは関係なく、「自分のご機嫌を取る能力」だけが問題になる。けど、実際には、出来事が影響している。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。