ヘビメタ騒音さえなければ……。ヘビメタ騒音さえ続かなければ……。きちがい兄貴が、すぐにやめてくれたら……。きちがい兄貴が普通の兄貴で、せいぜい鳴らしたとしても、二年間だったら。きちがい兄貴が普通の兄貴で、せいぜい鳴らしても、フォークギターぐらいの音だった。きちがい兄貴が普通の兄貴で、一日に十三時間鳴らしても、せいぜい、幼稚園児の絶叫ぐらいの音だったら。あーあ。全部、めちゃくちゃ。どれだけ、めちゃくちゃになるか、ほかの人はまったくわかってない。きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音がなかったからだ。毎日、鳴っているきちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音がなかったからだ。みんな、ヘビメタ騒音の効果を過小評価している。ぜんぜんちがうのに、ぜんぜんちがうということがわかってない。
学習はある。そりゃ、脳みそが正常なら、学習はある。出来事の学習がある。経験の学習がある。この実際の学習が、この世の認知に大きな影響をあたえるのである。この実際の学習が、からだの状態に大きな影響をあたえるのである。
それを……。出来事の学習を無視して、「Xをすれば、Yになる」「これは、正しい」と言うやつばかりだ。どうして、出来事の学習を無視するんだ? 「どれだけつらくても」というひとことで、消せるようなものじゃない。ところが、仮想空間では、「どれだけつらくても、Xをすれば、Yになる」ということが成り立っている。その人の頭のなかでは、成り立っている。ならば、きちがいヘビメタというケースだっ、もちろん、「どれだけつらくても」と言えることになる。けど、その人は、実際にきちがいヘビメタをあびたわけじゃない。きちがい兄貴といっしょに生活したわけじゃない。きちがい兄貴の部屋が隣の部屋であったわけではない。きちがいが、どういう認知・認識をしているのか、肌でわかってない。ほんとうに、頭がおかしいからどれだけ言っても、聞かない。「やってないつもりで」……やり続ける。この「やってないつもりで」……やり続けるなんて、おかしい。おかしいけど、毎日ずっと成り立っている。「うちにいる」という条件が成り立つなら、絶対の意地で、本人が鳴らしたい時間は、鳴らす。こっちがどれだけこまっていても、鳴らす。日本語がわかれば理解できることを、きちがい兄貴は、無視する。耳が正常なら、わかることを、きちがい兄貴は、無視する。ほかの人は、実際に鳴らされてないわけだから、これがどういうことなのか、わかってない。わかってないのに「どれだけつらくても」と「まくらことばのように」言ってしまう。