「やめろ!!やめろ!!」って、あんなに言ったのに! きちがい兄貴の部屋まで行って「やめろ!!やめろ!!」っ必死になって言ったのに! きちがい兄貴の脳みそが、きちがい親父とおなじだから、「不愉快なことを言われた」というレベルの認識しかしょうじてない。ちゃんと言っていることを理解して、そのうえで、無視して鳴らしたということではないのである。その場合、無視して鳴らした……(1)という認識が成り立っている。相手が、自分の部屋に「やめろ」と言うために、きた……(2)という認識が成り立っている。ところが、(1)も(2)も、よく認識しないまま、逆上して、しがみついて鳴らしている状態なのである。だから、最初から、(1)と(2)の認識は、普通の状態では成り立っていない。これは、一度、(1)と(2)を認識したあと、(1)と(2)の記憶をなくしたということとはちがうのである。普通の健忘は、(1)と(2)を認識したあと、(1)と(2)の記憶をうしなうのである。つまり、忘れてしまう。けど、それがちがうんだよ。きちがい兄貴の場合はちがう。きちがい親父の場合もちがう。けど、いつもそうなのかというとそうではないのだ。自分にとって不都合なことを言われたときだ、そういう反応になる。もっと、厳密に言えば、うちにいるとき、うちのひとに、自分にとって不都合なことを言われたときだけそうなる。だから、社会的には適応した状態を維持できるのである。なら、会社や学校にいるときと同じように、おなじ認識をしろと言いたくないけど、きちがい的な感覚で、使いわけているのだ。そして、きちがい的な感覚で使いわけているという認識がない。つもりがない。だから、本人はそう行こうとをしてないつもりだ。けど、会社や学校にいるときも、同種の態度があらわることがあるのである。だから、そういうときは、もめる。けど、「もめごと」なんていくらでもある。「よそ」では、「うち」のような頑固さを発揮する機会は少ない。無意識的に「よそ」の人に言われているということを意識している。これが、意識的に意識しているわけではないから、わかりにくくなる。よその人には、ぼくの言っていることが、わかりにくくなる。きちがい親父やきちがい兄貴の状態が、よその人にはわかりにくくなる。
あれだけ、言ったのに、つもりがないんだからな。これ、つもりがないというのは、本人の主観としては、ほんとうなんだよ。嘘をついているつもりがない。せめて、嘘をついているつもりぐらい生じろ。これ、どれだけこまるか、みんなわかってないな。
きちがい的に認めたくないことは、ほんのちょっと言われただけで、逆上して、怒り狂って、執着して、その行為をやり続けておしまいだよ。やり続けたつもりなんてないんだよ。言われたつもりなんてないんだよ。自分が「はねのけた」つもりなんてないんだよ。自分が相手の言っていることを「否定して」はねのけたつもりが、まったくない。本人とって、言われたらこまることに関しては、いつも、こういう反応になる。自動的にそうなる。こまるんだよ。こまるんだよ。
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よそのひとから俺が……「ちゃんと言えばわかる」とか「相談すればいい」とか「お兄さんがそんな音で鳴らしているのに、親が注意しないなんておかしい。たいした音で鳴ってないんじゃないか」と言われるんだよ。俺が言われるの……。きちがい兄貴の脳みその構造や、きちがい親父の脳みその構造から、押し出されることだ。「ちゃんと言えばわかる」はずだと思っている人は、俺の言い方が悪いと思っているのである。「ちゃんと言ってもつたわらない」ということを言っても、そいつはそいつで、ちゃんと言ってもつたわらないということを認めない。「そいつ」にとっては、(エイリの)ヘビメタ騒音問題なんて、どうでもいいことだ。「愚痴を聞かされた」ぐらいのことしか思わない。けど、俺にとっては、毎日毎日、たいへんなことなのである。毎日毎日、死にたくなるような大問題なのである。
たまたま、きちがい的な家族がいない家に生まれただけなのに……たまたま、きちがい家族がきちがい的な意地で鳴らす騒音に、毎日毎日、さらされなかっただけなのに……「自分は通勤できるけど、エイリさんは通勤できない」という認識をもち、くそえらそうなことを言ったやつは、ゆるさない。ゆるせない。「自分は通勤できるけど、エイリさんは通勤できない」……できないやつより、できるやつのほうが、えらい……自分は「できる」のだから、「できない」エイリさんに、そういうふうに言う権利がある……こういう考え方なんだよね……。根底にあるのが……。きちがいヘビメタ騒音で通勤できなくなったと、最初に言ってだろ。なにを聞いているんだ? 注意力がたりないのでは? あるいは、コミュニケーション力がたりないのでは? コミュ障だ、コミュ障。こういう反応をしたやつは、コミュ障。けど、このコミュ障野郎が、「エイリさんは、引きこもりだからコミュ障だ」と思うのだ。こういうレベルの思考しかできないやつ。こういう、鈍感な人。きちがいヘビメタを毎日毎日、何時間も何時間も鳴らされれば、非・二四時間睡眠覚醒症候群になる。通勤通学がどうしても、できなくなる。ヘビメタ騒音のことで、友だちとも縁が切れる。非・二四時間睡眠覚醒症候群になったあと、一〇年間、二〇年間、つきあいが続いた友だちと縁が切れれば……切れると、引きこもりの定義にあてはまるようになる。きちがいヘビメタ騒音期間があしかけ一五年間と長いうえに、ヘビメタ騒音の後遺症がずっと続くとなると、ほんとうに、ヘビメタ騒音のことで、友達とけんかするようになる。これは、就職という問題が関係している。そして、ヘビメタ騒音障害、ヘビメタ騒音後遺症が、なおらないということが関係している。そして、ぼくは、現実世界で現実のヘビメタ騒音を経験したけど、友だちは、別に、現実世界で現実のヘビメタ騒音を経験したわけではないということが、関係している。引きこもりという状態も、きちがいヘビメタ騒音によって、強制的に押し出され状態で、引きこもりと言われる状態(引きこもりとして定義できる状態)になっているだけだ。
コミュニケーション力がたりないから、あるいは、言語の理解力がたりないから、あるいは、ただ単にバカだから、あるいは、ただ単に傲慢だから「自分のほうが上だ」「自分のほうが能力がある」「自分はコミュ障じゃないけど、エイリさんはコミュ障だ」と思っただけだろ。すべてのことに関する理解力がたりないんだよ。すべてのことに関する思考力がたりないんだよ。……こういう鈍感で傲慢なやつらは。
たとえば、引きこもりは、ヘビメタ騒音の結果であって、原因じゃないんだよ。ヘビメタ騒音が原因で引きこもりになったんだよ。そして、だれもが否定すると思うけど……だれもが、そうなると断言できる。あの時間の長さ……あの期間の長さ……自分がきらいな音を……あの音のでかさで七年間、毎日毎日聞かされて……普通に通勤できる人はいない。人間!は、だれでも!!七年間で、回復不能な睡眠障害になって、通勤できなくなる。どうして、そういう知識が一般化されないかというと、きちがい兄貴のように、こだわって、自分がでかい音で鳴らしていることを無視して、でかい音で鳴らす人間が、この世には、少ししかいないからである。そういう人間と家族として住んでいる人間が、少ししか、いないからである。ほぼ全員がこういう状態なら……ほぼ全員が、ぼくの言っていることを理解できる。「こういう時間の長さ、こういう期間の長さ、こういう音のレベルで、(自分がきらいな音を)聞かされたら、通勤する能力がなくなる」ということは公知の事実になる。ほとんどの人が、そういう認識をもつようになる。もっとも、そんなことはありえないけどね。きちがい兄貴のように、こだわって、自分がでかい音で鳴らしていることを無視して、でかい音で鳴らす人間が多い世界というのは、想像しにくい。実際には、ない。だから、少数者の身の上にしょうじた出来事と結果を、多数者が理解できないということになる。
はっきり言えば、やられてないから理解できないだけの話だ。やられてないから「そうなる」という認識が一般的ではないだけだ。だから、やられてない一般人は「やられてもそうならない」という認識でものを言うのである。屈辱。侮辱。きちがい兄貴にやられると、そういうことが押し出されてしまう。きちがい兄貴の騒音は、顕著だけど、しくみとしては、親父がやったことでも成り立つ。特殊な家族がいる家にうまれなかった人は……事実生まれなかった人は……特殊な家族がいる家に生まれた人のことが、まったく、まったく、わからない。自分にとって経験がないことだから、経験があったとしても、影響をうけないと、ごく自然に考えてしまうのである。 ……自分ならその経験の影響をうけないと、ごく自然に思い込んでしまうのである。そして、特殊な経験をした人に、無理難題を吹っ掛ける。自分だっておなじことを、長期間にわたってやられれば、できなくなるのに……。自分だって、睡眠障害者になるのに……。
鈍感な人は理解できないと思うけど「元気だ元気だと言えば元気になる」というのは、かなりの無理難題だ。「元気だ元気だと言っても、元気にならない」から問題をかかえて生活しているわけでしょ。そんなことで解決するなら、苦労してない。
「この騒音は、一秒後に鳴りやむ」と言えば鳴りやむか。きちがいヘビメタ騒音の場合は鳴りやまなかった。何千回言ったって鳴りやまないものは鳴りやまない。鳴りやまないから、問題なんでしょ。なんで……「この騒音は、一秒後に鳴りやむと言えば鳴りやむ」ということを前提にしてものを言うかな? 失礼だろ。