たとえばの話だけど、「夢ノートに、自分の夢を書くと、夢がかなう」と言うことを言っている人がいたとする。たいへん、夢がある話だ。しかし、これが、問題なのである。儀式的な方法で、アップできるのは、自分の気持ちだけだ。だから、メインの理由にはならない。メインの理由はほかにある。
たとえば、なんかの資格試験をうけるとする。その資格試験に合格することが「夢」だとする。
その場合、夢ノート方法にたよるのであれば、「試験に合格する」と何回も書けばいいということになる。しかし、資格試験の勉強をしたほうがよいのではないかと思うのである。その儀式的な方法にかける時間を、資格試験の勉強につかったほうがいいのではないかと思うのである。
たとえばの話だけど、事前に知っている知識というのは、ひとによってちがう。勉強してなくても、そのことについて、知っている人はいる。ほかの機会に、その知識をえた人は、別に、その勉強をしなくても、そのことについて知っている。だから、本当は、「事前の知識」の格差というのがある。
その影響を無視するために、ある資格試験オメガを考えるとする。その資格試験の知識は、オメガの参考書つくった人とオメガの試験問題をつくった人以外の、すべての人にとって未知の知識だとする。
ようするに、ある人Aと、ある人Bのあいだに、事前の知識格差がないようにするのである。そして、オメガの参考書をつくり、オメガの参考書のなかからだけ、オメガの資格試験問題をつくるようにするのである。
いまかりに、オメガの参考書を読んだ人と、オメガの参考書を読まずに「オメガ試験合格」とか「オメガの資格試験に絶対に合格する」と夢ノートに書いた人がいたとする。オメガの参考書を読む方法を選んだ人をCさんだとする。オメガの参考書を読まずに、夢ノートに「オメガの資格試験に絶対に合格する」と書く方法を選んだ人をDさんだとする。
試験に受かる可能性があるのは、Cさんだ。Dさんはかならず、落ちる。どうしてかというと、すべての人にとって未知のことが書いてある参考書を読まなければ、その問題を解くことがまったくできないからである。
これは、どういうことを意味していると言うと、「夢ノートに、自分の夢を書くと、夢がかなう」ということは、まちがっているということを意味しているのである。夢を書くことと、夢がかなうことにのあいだには、まったく関連性がないのである。
けど、じゃあ、夢を書いて、夢がかなった人(夢をかなえた人)はどうなの? と思う人がいるかもしれない。
これに関して書いておくと、夢を書いて夢がかなった人というのは、夢を書いたから、夢がかなったのではなくて、夢を書いたということのほかにやったことがあるからだ。
たとえば、Eさんは、「オメガの資格試験に絶対に合格する」と一回だけ書いたあと、ほかの時間を「オメガの参考書を読むこと」につかったとする。そして、Eさんは、オメガの資格試験に合格したとする。
その場合、Eさんは、「オメガの参考書を読んだから」資格試験に合格したということができる。「オメガの資格試験に絶対に合格する」と夢ノートに書いたからではないのである。どうして、そういうふうに言いきれるかと言うと、Dさんが資格試験に落ちているからだ。
まあ、これ、架空の話だけどね。
ようするに、(1)参考書だけを読む方法、(2)夢ノートに「オメガの資格試験に絶対に合格する」と書くだけの方法、(3)参考書を読み、夢ノートに「オメガの資格試験に絶対に合格する」と書く方法の、三通りの方法があるのである。
で、普通の話のなかでは、事前に知っている場合というのを、消去しておくことができないのである。そして、普通の話のなかでは(1)の方法と(3)の方法を明確に区別してないのである。
なので、夢ノートに「オメガの資格試験に絶対に合格する」と書くと、オメガの資格試験に合格できるというような話が、事実であるように流通してしまうのである。実際に夢ノートに書く方法で、夢がかなったという人は、かならず、ほかのことをしている。夢をノートに書くだけではなくて、ほかの方法をやっている。
夢がかなったのは、ほかの方法のおかげなのである。
けど、「夢ノートに夢を書いたから、夢がかなった」と思うことは可能なのである。どうしてかと言うと、実際には、(1)の方法と(3)の方法を明確に区別することができないからだ。
ほんとうは、ほかの方法、だけで、夢がかなったのだけど、本人が、夢ノートに夢を書いたから、夢がかなったと思っている場合、本人にとっては、「夢ノート方法は有効な方法である」と思えるのである。
しかし、夢ノートに「夢がかなう」と書くことは、夢がかなうかどうかに、影響をあたえていない。
ほんとうは、そのほかの方法が影響をあたえている。オメガ資格試験に受かったのは、夢ノートに「オメガの資格試験に絶対に合格する」と書いたからではなくて、オメガの参考書を読んだからだ。それ以外にないのである。
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試験の方法が選択式で合格点が一〇〇点中、二〇点だと、まあ、勉強をしなかったのに、合格してしまう人も出てくるとは思う。けど、記述式の問題で、正解は四文字以上の漢字を含む文字列(文)であって、合格点は一〇〇点中、八〇点である場合は、「まぐれ」で受かる確率は天文学的に低い確率になるので、「まぐれ」で受かる確率は考えなくていいことになる。問題は選択式の場合も、記述式の場合も一〇〇問で、一問につき一点だとする。
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肝心なのは、 夢ノートに「オメガの資格試験に絶対に合格する」と夢ノートに、一〇〇〇〇回書いたとしても、その努力は、まったく合格するかどうかに影響をあたえない点だ。