2023年5月23日火曜日

自分がどのくらいの音を出しているのか、わかっているはずなのだ

きちがい兄貴があまりにもへんな性格で、ほかの人の想像をこえるような感覚をもっているのだ。だから、俺が誤解をされる。自分だって、騒音でうるさいと感じたことがある人は、相手が、自分の音でそう感じているということは、「否定したい気持ちがあっても」わかるものなのだ。けど、それが、「否定したい気持ちがある」とまったくわからなくなる。自分だって、騒音でおこるくせに、自分の騒音でおこってきた人の言っていることがまったくわからないのだ。これは、きちがい親父の感覚とおなじだ。どうして、相手が自分にそういうことを言っているのか、まったくわからないのだ。そして、この人たちがやることというのは、へんなことなのだ。一日中、でかい音で鳴らすとか、ほぼ一日中、魚の切り身を出しておくとか、へんなことをする。自分の耳が正常な人は、どのくらいの音で鳴らしているか、どれだけ自分がでかい音で鳴らしたくても、わかる。だから、普通の人が……めちゃくちゃにでかい音で鳴らしたくて、でかい音で鳴らしている場合、「でかい音で鳴らしてない」と(相手には)嘘を言っても、自分が嘘を言っているというのは、わかってることなのだ。これは、自分の感覚を否定することになるから、いくら、でかい音で鳴らしたいから、でかい音で鳴らしてないふりをする……でかい音で鳴らしているということに気がつかないふりをする場合でも、感覚器が正常だから、でかい音で鳴らしているという自覚がしょうじる。何回も言うけど、相手に言われたけど、無視して鳴らしたいから「でかくない」と言い切って、相手を無視しているのとはちがうのだ。「でかくない」と言い切っていても、それは、嘘だということを知っている。芝居をしているだけなのだ。自分が鳴らしたいから、知らないふりをしているだけなのだ。けど、きちがい兄貴の場合は、そうじゃない。自分がでかい音で鳴らしたいなら、感覚器を書き換えてしまう。ほんとうに、でかい音で鳴らしているつもりがないということになってしまう。感覚器が正常なら、絶対に、でかい音で鳴らしているということがわかるようなでかい音で鳴らしていても、「こんなのは、小さな音だ」「こんなのは普通の音だ」と思ってしまう。そう思ってしまったら、相手がどれだけ言ってきても、そう思ったままなのだ。そういうずるい部分がある。ちなみに、親父の場合もおなじで「くさい」ということを認めると、自分が魚の切り身を片づけなればならない場合は、どれだけ臭いにおいが部屋中に充満していても、「くさくない」と感じるのだ。感覚器を書き換えてしまう。自分の都合がいいように、感覚器を書き換えてしまう。で、それが、言ってみれば無意識的な段階で行われることなので、意識的な自我はそういうことをしているつもりが、ないのである。だから、兄貴の場合は「でかくない」と言っているとき、ほんとうに「でかくない」と感じているからそう言っているということになるし、親父の場合は「くさくない」と言っているときは、ほんとうに「くさくない」と感じているからそう言っているということになる。こういう、きたないやり方で、自分をだまして、自分にとって都合がいい行為を続けようとする。もちろん、きたないやり方で、自分をだますということが、わかってないので、常に、自覚なく、そうしてしまうのである。「都合が悪いときはいつもそうする」。「都合が悪いときは、いつも自然に、そうする」。自分にうそをついているつもりがないし、自分が嘘をついているつもりつもりもないのだ。そういう「だまし」がある。自分自身に対する「だまし」がある。だから、もう、底抜けだよ。この、きちがい親父が、きちがい行為をするときの「そこぬけ」も、この、きちがい兄貴が、きちがい的にでかい音で、きちがい的に長い時間、ずっときちがいヘビメタを鳴らすときの「そこぬけ」も、おなじなのである。自分がどのくらいの音を出しているのか、わかっているはずなのだ。そこぬけだから、いつもそうしているのに、いつもそうしている自覚だけはまったくないということになる。普通の人だったら、たとえば、兄貴の場合だと、「でかい音で鳴らしているけど」「でかい音で鳴らしてるということを認めると、でかい音で鳴らせなくなってしまうので」「でかい音で鳴らしてないという芝居をした」ということが、わかっているのである。無視して、鳴らしているときも、わかって、鳴らしている。だから、相手が文句を言ってきたときも、相手が文句を言う理由が、(否定したいけど)わかる。これは、考えるとかそういうことではなくて、感覚的にわかることなのだ。普通の人なら……。感覚器を書き換えない人なら……。けど、きちがい兄貴は感覚器を書き換えているので、わからない。相手がどうして、文句を言ってくるのかわからない。自分が普通の音で鳴らしているのに、「でかい音で鳴らしていると言ってくるので頭にくる」……。こういう気持しかない。「人がせっかく鳴らしているのに、なんだ!このやろう!!文句を言ってきて」という気持しかない。そして、そういう気持しかなくて、「相手がこまっているから文句を言ってきた」という認知がまったくないのである。自分は「普通の音で鳴らしている」気持ちしかない。ほんとうは、きちがい的にでかい音で鳴らしているのに、わからない。そして、その音には、こだわりがある。絶対にゆずらない。さげたとしても、きちがい親父の譲歩とおなじで、まったく意味がない譲歩になる。「おまえ、ふざけるな!!」と相手が言いたくなるような譲歩しかしないのである。譲歩されてないのだけど、譲歩されたとしても、まったく問題が解決しない譲歩しかないのである。ほんとうは、でかい音で鳴らしているのに、「しずかにしてやった」と思ってしまうのである。これは、きちがい親父のハンダゴテとおなじなんだよ。きちがい親父にとって、使えないハンダゴテを出してやるのは、最大限譲歩なのである。けど、「使えない」ということを認めないのだ。だから、親父にとっては、ずっと永遠に「使えるハンダゴテ」なのだ。で、それを、親父にどれだけ言っても認めない。だから、先生に「こんなので、やるつもりなのか」とバカにされ、みんなにわらわれたということを話しても、使えないということは、絶対に認めないのである。これも、意識して、わざとそういう意地悪しているのではなくて、ごく自然に、そうなってしまう。ごく自然にそうなったときの、頑固さが、これまた、普通の人の想像をはるかに超えることなのである。だから、普通の人には、うちのなかにいるきちがい親父の態度や反応というものが、まったくわからない。普通の人は、兄貴の説明が悪かったから、お父さんが誤解をして、そういう……エレクトロニクス工作にはまったく使えない……ハンダゴテを出してきたと思ってしまうのだ。普通なら、説明すればわかることが、きちがい親父にはわからないということが、ぬけてしまう。普通の人の判断のなかで、ぬけてしまう。そうなると、兄貴の説明のしかたが悪かったから、お父さんがわからなかっただけなんだと思ってしまうのである。これが、兄貴と俺の関係だと、兄貴のヘビメタ騒音について、成り立ってしまうのである。ほかの人は、ごく自然に誤解をする。ごく自然にまちがっ判断をする。けど、ほかの人は、かかわりがあるわけではないので、深くは考えない。俺が、いま、これだけ説明していても、わからない人にはわからないのだ。このほかの人にはわからない理由と、きちがい兄貴が、自分が鳴らしているヘビメタ騒音のでかさについてわからない理由は、ちがう。しかし、これも、ごく自然に押し出されてしまう。きちがい兄貴がまったく気がつかずにやっていることが、ほかの人の誤解をさそうのである。ほかの人たちは、きちがい兄貴のきちがい感覚がわからないので、誤解をすることになる。「言わないからダメなんだ」「ちゃんと説明すればわかるはずだ」と思ってしまう。そして、普通の人は、普通の騒音を知っているけど、きちがい家族が日常的に鳴らす騒音のことは知らないので、そういう生活……きちがい家族がきちがい的でかい音で長時間、鳴らす生活……がどういうものなのか、根本的にわかってない。わかってないところで、やられている人に、「クソ」を言う。ほんとうに、クソ。ほかの人に「クソ」を言わす、しくみが成り立っている。そして、きちがい兄貴本人は、自分自身にそういうしくみが成り立っているということが、当然ながらまったくわかってないということになる。きちがい親父もおなじだ。家に、ふたり、こういう人間がいるということが、ほかの人にはわかってない。わかるわけがない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。