ここにくるまでに、エネルギーをつかいはたしてしまったなぁ。どうするかな? これ以上は、とべないな。しかし、なんとかしないとなぁ。このやっかいな気持はなんだ? これ、ほんとう、やっかいだよな。ほかの人にはないハンディがあるんだよな。きちがい兄貴のヘビメタ騒音ときちがい親父の頑固なきちがい行為だ。まあ、ちがい兄貴も頑固だよな。この頑固さが、病的なんだよな。殺さないと、やめさせることができない。どっちも……。こういうきちがい的な兄やきちがい的な父がいない人にとっては、なんでもないことなんだよな。いないから、そもそも、そういう行為の影響をうけない。だって、やる人がいないもん。
この人たちが「楽しいと言えば、本当に楽しく感じる」などと言う。そして、こっちが、自分のことについて言えば、「どんな条件だって」とか「どれだけつらくても」と言うことを付け足す。「どんなにつらくても、楽しいと言えば、本当に楽しく感じる」……。おかしいと思う。人間じゃないんじゃないか。あるいは、「どんなにつらくても」と言っているけど、ほんとうは、つらい思いをしたことがないんじゃないか。ほんとうは、ほんとうに、つらい思いをしたことがない。けど、「つらかった」と言うことにして、「どんだけつらくても」と言っているのではないか?
「楽しい」と言えば楽しくなるような「つらさ」? そんなのあるの?
なにをして「つらさ」と言っているの?