本人の意思ではどうすることもできない、影響がある。けど、きちがい兄貴が、家にいない人……自分のうちにいない人にとっては、それは、えそらごとだ。ぜんぜん関係がないことだ。想像でしかわからないことだ。
だから、きちがい兄貴の影響もわからない。きちがい兄貴の行為の影響がわからない。ヘビメタ騒音の影響がわからない。きちがい兄貴がどういう態度で鳴らしたのかも、わからない。きちがい兄貴がヘビメタの音に関して、どういう感覚をもっていたのかも、経験がない人にはわかない。絶対的に、わからない。
だから、自分の想像の範囲でものを言うとになる。
そして、その想像が、現実とはまったくちがうのである。これが、やかっいだ。そうなると、ほかの人が、ぼくにとって「敵に」ならざるをえないのである。そりゃ、無理解な発言を繰り返すことになるわけだからさ……。「おまえは、実際に鳴らされたわけじゃないから、わからない」「かんがえちがいをしている」と言ったって、なにもつたわらない。だって、経験がないわけだからさ。
ぼくにしたって、実際にやられたぼくじゃなければ、わからないと思う。「話を聞いただけでわかる範囲」と、「話を聞いただけじゃわからない範囲」をくらべると、「話を聞いただけじゃわからない範囲」のほうが、圧倒的に大きい。ひろい。「話を聞いただけでわかる範囲」をイチ平方メートルだとすると、 「話を聞いただけじゃわからない範囲」はイチ無量大数(むりょうたいすう)平方メートルだ。
実際に、経験がないとわからないんだよな。影響のでかさがわからない。毎日つもる、感覚がわからない。全部がつもっていくんだよ。全部が……。そういう積もったものを無視して、どれだけきれいごとを言ったってむだだ。積もっているものが、ものを言う。現実のからだをつくっている。
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俺にしたって、こういう状態から抜け出たいけど、からだが言うことを聞かない。
そういうことがなかった人の「きれいごと」なんだよなぁ。世間の人が信じていることは、そういうことがなかった人の「きれいごと」だ。世間の人だって「なかったひと」だから、通じやすい。通じにくいんだよな。通じにくいというよりも、不可能か。
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「そんなの、むりに決まっているだろ」と言いたくなることが、たくさんあった。ほんとうに、そういう体験も、つもりにつもった。十一歳のときから、そういう人生だったなぁ。もう、つかれたよ。
ほんとうに、ヘビメタ騒音でできなくなるのに、みんな、わかってない。ヘビメタ騒音でできなくなるというのがわかってない。こっちは、ぎりぎりでやっているんだぞ。ヘビメタ騒音がなければ簡単にできることでも、ヘビメタ騒音があると、むりなことになってしまうんだよ。それがせんぜん、わかってない。みんな、わかってない。この、時間の経過が、わかってない。どれだけのことが、つみかさなるかわかってない。
ぎりぎりの状態で、どうにか、生活しているのに、みんなわかってない。きちがい兄貴にどれだけ言っても、しずかにしない。しずかにしない。きちがい兄貴の基準で、しずかにしたつもりになる時間は、あったけど……きちがい兄貴は、その時間も、普通の基準でいえば、ありえないほどでかい音で鳴らしている。きちがいだから、そういう、基準のずれがある。
ぎりぎりで暮らしているのに、「元気だ元気だと言えば、元気になる」なんて、ヘビメタ騒音がないやつから言われたときの、気持ちがわかるか? 何千日も、何万日も、くるしい状態で暮らしているんだぞ。くるしい状態で「元気だ元気だ」と言ったときの、気持ちがわかるか? くるしい状態のままだよ。元気にならないよ。そういう、くそ嘘を、あたかも、宇宙をつらぬく絶対法則のように言うな。
きちがい兄貴の、きちがい的な態度が、毎日「きいている」。俺のからだに「きいている」。悪いイフェクトをあたえている。そういう毎日なんだぞ。くるしい状態で「元気だ元気だ」と言ったら、死にたくなるんだよ。きちがい兄貴に対するはげしい怒りと、言いようのないむなしさがおそってきて、死にたくなる。
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言霊主義者とぼくのあいだには、クレパスがある。常識的な人とぼくのあいだにも、言霊主義者とぼくのあいだにあるクレパスとおなじようなクレパスがある。深さはちがう。言霊主義者とぼくのあいだにあるクレパスのほうが深い。けど、おなじようなクレパスだ。
社交辞令として、「そうですね」と言っておけばいいか?
よくないんだよ。これが、よくない。出血大サービス。こっちが、出血している。助言をされるほうが、助言をするほうに、気をつかって、「そうですね」と言う。どっちがどっちのおもりをしているのか? ほんとうは「そうじゃない」と思っているのに、「そうですね」と言う。負担がかかるじゃないか。
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ヘビメタ騒音が鳴っているとき、元気じゃないので「元気だ元気だと言う」……元気になるか? はらわたが煮えくり返ってしかたがない状態のままだ。ストレスで死にそうなの状態だ。発狂寸前なのに、がんがん鳴っているなかで、発狂しないように、自分をおさえている状態だ。きちがい兄貴を殺しに行きたいのに、殺しに行かないようにしている状態だ。ぜんぜん、元気にならないよ。まあ、「はらわたが煮えくり返ってしかたがない状態」は元気なのかもしれない。じゃあ、ヘビメタ騒音が鳴っているとき「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」か? ならないよ。
ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、元気だ元気だと言えば、元気になるか? ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、普通の人が経験したことがないつかれを感じで、ぐったりする。活力がない状態だ。元気だ元気だと言えば、元気になるか? これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音で、ヘビメタ騒音が鳴ってなければできたことが、まったくできてない状態なのである。ヘビメタ騒音が鳴っている時間というのは、むだな時間……使えない時間であるばかりではなくて、あきらかに「負の時間」なのである。たとえば、ヘビメタ騒音が鳴ってなければ、ぼくの能力でできる宿題をすることができたのである。鳴ってなければ……。けど、ずっと、学校から帰ってきたあと、何時間も何時間も鳴っていたで、宿題をすることができないのである。宿題をしないで、次の日学校に行くと、恥をかくのは僕なのである。悪く言われるのは僕なのである。きちがい兄貴は、原因をつくっているけど、そんなことは、知らない。どれだけ俺が「宿題をやるから静かにしろ」と言ったって、きちがいがきちがい的な感覚で認めずに、きちがい騒音を鳴らしまくる。しかも、きちがい的な感覚で「鳴らしてないことになっている」のである。これが、ほかの人にはわからないことなんだよな。そして、きちがいだから、どれだけ言っても効かないということがわからない。ほかの人にはわからない。「兄のヘビメタ騒音で宿題ができなかった」と言ったって、「お兄さんと話し合えばいい」「家族で相談すればいい」と言われておしまいだ。恥をかくのは俺だし、俺がきちがい兄貴のことで恥をかいているとき、きちがい兄貴は、その場にいない。そういう意味で、知らない。そして、ほかの人には、きちがいヘビメタ騒音でどうしても、どうしても、宿題ができないということがわからない。「鳴ってたって、できるだろ」と思っていることろがある。そこに、距離がある。