いまでも、きちがいヘビメタが鳴り始めた日のことを覚えている。全力で、からだが拒否してた。これが続くならおしまいだと思った。そして、きちがい兄貴が「やめない人間だ」ということを知っていた。だから、おかあさんのところに行って、「いま、あいつをとめないとずっと鳴らし続ける」と言った。おかあさんは、おかあさんで「そのうち、あきるでしょ」というようなことを言っていた。そして、注意はしてくれたのだけど、もちろん、きちがい兄貴は、きかなかった。きちがい兄貴の感覚、きちがい兄貴の性格だと、おかあさんに注意されても、自分がやりたいことは、きちがい親父のように現実を無視してやってしまう。こいつら、嘘をついているつもりがない。自分を無意識のレベルでだましている。「普通の音で鳴らしている」と思ったら、どれだけでかい音で鳴らしたって「普通の音で鳴らしている」と思ってしまう。きちがい、無意識、催眠術。自己催眠。自分にとってだけ都合がいい、特別な自己催眠。そういうレベルの「うそ」。
きちがい兄貴が、でかいスピーカーでおモッキリヘビメタを鳴らそうと思ったときから、すべてがかわってしまった。ぼくの人生のすべてがかわってしまった。
「ヘビメタ騒音ともてるかもてないかなんて関係がない」……関係あるんだよ。おおありなんだよ。
「ヘビメタ騒音が鳴っているから、女の子とつきあえないなんてことはない」…… 関係あるんだよ。おおありなんだよ。
きちがいヘビメタなしで、あの子と、普通につきあいたかった。ヘビメタが鳴っていたら、だめなんだよ。ヘビメタが鳴っている日が毎日、つもっていたら、だめなんだよ。関係があるに決まっている。実際、関係があった。ぼくではないから、それがわからないだけだろ……ほかの人は、ぼくじゃないから、それがわかってないだけだろ。真実は、「関係がある」だ。
あの日から、本当にすべてがかわってしまった。きちがい兄貴の気まぐれ? きちがい兄貴の趣味で、ぼくの人生がすべてかわってしまった。ぼくができることと、できないことが、変化してしまった。これ、みんな、わかってない。実際に鳴っていたので、実際に鳴っていた生活の「結果」しかわからない。「働けなくなる」と言っても、「そんなことはない」と言いかえしてくる。これ、わかっているわけじゃないのだ。働けなくなるに決まっている。女の子と、普通に、普通の気持ちで、つきあえるわけがない。ヘビメタ騒音が、あの音のでかさで、ずっとずっと鳴っているのに、そんなことができるわけがない。「できるのに、おまえが、それを選んだ」ということになってしまう。自己責任。自己責任。けど、ほんとうに、鳴っていたら、ちがうんだよ。ちがうの。
もう、すべてがちがう。鳴っている状態が、続くということが、ほかの人にはわかってない。騒音で不愉快な気持になったという経験は、おそらく、だれにでもあるけど、横の部屋にいる家族が、きちがい的な意地で、でかい音で鳴らすという経験はない。何日も何日も、何千日も何千日も、つづいていいわけがない。あたりまえのように、つづていいわけがない。
きちがい兄貴がやっていいことをやっているつもりでずっと続ける。家族もそれをゆるしている。こんなのはない。きちがい兄貴だってほかの音が鳴っていたら一分間で逆上するような状態だ。「うるさいうるさい」と叫ぶに決まっている。そういう音で鳴らしていた。