ワクチン後遺症の人が、「ワクチンを打つ前の何も症状もなく、普通にご飯とおやつを食べて、倦怠感もなく仕事もできるからだに戻りたい」と書いているけど、ぼくの場合、ヘビメタ騒音数千日で、普通のからだではなくなった。けど、それが、普通の人にはわからない。ヘビメタ騒音数千日を経験してない人にはわからない。経験してない人は、経験してないから、わからないだけなのだけど、経験してないからだの基準でものを言う。なので、溝がある。ふっかい、ふっかい溝がある。けど、溝があることで、不愉快な思いをするのが、こっちだけなのだ。相手は普通に、働けるからだで動いているわけだから……。そして、「俺だってつらいことはあった」と言いつつも、とりあえず、出勤できるからだをもっている。ヘビメタ騒音で通勤できないからだになったということが、普通の人にはわからない。普通の人は、「ここにこれるなら、通勤できるはずだ」と思ってしまう。ところがちがうのだ。これ、毎日のことと、月に一回のことはちがうのに、おなじだと思っている。毎日というのは、厳密に言えば平日という意味だ。きちがい兄貴が、異常なのだ。正常じゃない。そうなると、正常な家族にかこまれて、生まれ育った人は、きちがい兄貴によるヘビメタ騒音を人生のなかで経験しないということになる。そりゃ、異常な家族がいなければ、異常な家族がどういう態度でどういうことを、やり続けるかということも、わからない。自分の経験ではないから、わからない。「エイリさんがそう言っているだけだ」ということになってしまう。そうなると、正常な家族にかこまれて育った人が、ぼくを「なめる」ことになるのである。これが、あたまにくる。ほんとうは、だれだって、異常な家族に、あれだけやられれば、通勤できないからだになるのに、そういうことが、その人には発生しなかったので、通勤できないからだになるということがわからないまま生きている。その基準で言えば、その人から見て、ぼくが通勤できると思うので、「エイリさんがあまえたことを言っている」と思ってしまうのだ。これ、きちがい家族にやられた人には、よくおこることなんだよ。異常な家族がやることなんて、正常な家族にかこまれて育った人にはわからない。どうしても、正常な家族の基準でものごとを考えてしまう。そして、実際に、異常な家族にやられて……毎日毎日ずっと、十数年間やられて……被害がしょうじたということがないわけだから……軽い問題としてあつかってしまう。そりゃ、正常な家族同士でも、「軽い」もめごとはある。けど、その軽いもめごとと、一方が異常な家族てある場合の「軽くない」もめごとは、ちがうんだよ。ちがうと、どれだけ、ぼくが言っても、けっきょく、正常な家族にかこまれて育った人にはわからないと思うけど……。
数千日にわたる過酷な生活が、その後のからだに影響をあたえないはずがないのだ。数千日にわたる過酷な生活が、その後の精神に影響をあたえないはずがないのだ。けど、そういう生活をしなかったやつが……そういうことが人生のなかでしょうじなかったやつが……「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」とか「じじょにからだをならしていけば、通勤して働けるようになる」とかと言う。こいつらは、バカ。わかってないだけなのに、えらそうに言うバカ。そんなことじゃないからこまっているのに……。そうじゃないということが、経験的に証明されているんだよ。こっちのなかでは、完全に証明されているの!!! こいつらがわかってないだけなんだよ。……こういう溝の芽のようなものは、最初からあった。仕事とか通勤ではないけど、学校生活や通学に関係して、そういうやりとりがしょうじてしまうのである。ぜんぜん、ちがうのに、えらそうなことを言うな。
からだが分解しそうなほど、こまって暮らしていたのに、ひとから……俺が経験していることを経験してない人から……わかったようなことを言われる。そういう状態になる。言われやすい立場に追い込まれる。きちがい兄貴が、きちがいで、きちがい的な意地で、きちがいヘビメタを鳴らしやがるから……。きちがいヘビメタを、あの態度で、連日鳴らされると、どうしても、こまった立場に追い込まれる。だから、必死になって「鳴らすな」「鳴らすな」「こまるから鳴らす」と言っているのに、きちがいだから、まったく気にしないで、鳴らす。きちがい親父とおなじで「言われたら」腹をたてるだけなんだからな。相手がこまっているというとがわからない。根本的にまったくわかってない。何万回言われても、わからない。まったくわからない。そういうきちがい的な頭の持ち主なんだよ!! けど、そういう人間と一緒に住んでない人は、そういう人間がいるということがわかってない。からだで、わかってない。
そして、二項目文を言う。どんな条件だって、その二項目文が成り立つというのだ。二項目文は、条件を無視した言い方だ。これが、腹にこたえるのである。腹立たしいのである。こういう言い方が、さも正しいように、「悪魔の容器」のなかで流通している。共同幻想は、その二項目文を是認している。……こんなのはない。