基本的なことを言うと、ぼくはもっと、ほかの人に、社会に関心をもってもらいたい。基本的にこの社会は「悪魔の容器」なのである。
だから、個人的な努力でどうにかなるものではないのだ。それから、カルマだけど、カルマはない。
このカルマという考え方も悪魔側が用意した、考え方だ。
カルマという考えたを採用していると、生まれの格差・下の人が、前世や前前世でわるいことをしたから、そういうところに生まれたという考え方が自然に生まれる。これが、差別の根源になっている。また、たましいというレベルでは、前世でおかした罪が問題なのだから、自己責任だということになる。
「前世において悪いことをしたから、今世でくるしんでいるのだ……それは、当然だ」という見方が生まれるのである。
これは、ほんとうは、他人に対する軽蔑の始まりで、自己意識を低めるものだ。
波動というような言い方が好きな人用に言っておくと、そのような見方をすると、波動が低くなるのだ。実際に、この考え方をもっていると、人に対してつめたくなるのである。
とくに、こまっている人や、生まれつき不利な立場である人に対する気持ちがつめたくなる。これは、態度にあらわれるし、自分が(そういう人たちを)差別をしてもいいという根拠になる。
そりゃ、今現在、「生まれの格差・下」でくるしんでいる人は、前世でわるいことをしたからくるしんでいるのだという見方が生じれば、「くるしんで当然」なのだから、別に思いやりをもって接する必要がなくなるのである。
「自分は、前世でいいことをしたから、そうなってない」と思えば、自然に優越感が生まれる。差別をしてもいいという気持になるのだ。
しかも、「差別だ」とは思ってないのだ。
こういう状態ができあがってしまう。
「前世」「カルマ」という宗教的な妄想のせいで、そうなってしまうのである。まあ、妄想でも、幻想でも、信仰でもいいよ。けど、態度として「くるしんであたりまえ」という態度が生まれてしまうのは問題がある。
これは、悪魔側が用意した考え方だ。見方だ。しかも、悪魔側ではなくて、神側の考え方として流布しているのである。これは、やっかいだ。自称、精神世界の人……自称、波動の高い人……自称、高次元人……が、みんな、ひっかかってしまう。
ほかにも、生まれの格差に目をむけさせないよう考え方があるのだけど、「カルマ」という考え方は、問題がありすぎる。
じゃあ、どうして、人によって差があるのか?ということについて、語ってみようかな。
ははっ。
妄想には妄想。幻想には幻想。信仰には信仰。
ぼくも、妄想的なことを言うからね。
それは、アルコンがやったことなのだ。アルコンは、物理的な存在ではなくて、精神的な存在だ。このアルコンが、「人が苦しむように」いい人のたましいを、悪い親のもとに届けているのである。アルコンが、どこに生まれ変わるのかを制御している。
なので、カルマはなく、まさに、「苦悩」「絶望」「恨み」をうみだすために、悪い親のもとに送り込んでいる。とくに、善良なたましいが選ばれて、悪い親のもとに送り込まれるのである。魂を悪い親のもとに送り込むのはアルコン。
支配者階級の人は、ずっとずっとずっと、悪いことをしてきたのである。じゃあ、どうして、支配者階級に生まれることができるのか? これも、アルコンが計画し、実行していることなのである。ようするに、魂の生まれつかさどる「支配者階級」であるアルコンが、人をくるしめるために、悪いことをしてきた魂を支配者階級(の人)に転生させるのである。地上と、霊界?というか……たましい還元世界がおなじ構造になっている。
悪いやつが、支配している。
なので、善良な人が苦しむようにできているのである。善良なたましいが苦しむように、アルコンが、わざわざ、悪い親のもとに善良なたましいを送り込むのである。被・支配者階級(の人)が苦しむように、悪い魂を支配者階級の親のもとに送り込むのである。支配者階級に生まれた人は、前世でいいことをしたから、支配者階級に生まれてきたのではなくて、前世でも同じように、支配者階級(の人)として、被・支配者階級(の人)を苦しめてきたから、支配者階級に生まれかわるのである。
逆。すべてが、逆。
ぜ