『きちがい的な意地で鳴らしている』と言っても『きちがい的な意地』というのがどういう意地なのか、ほかの人にはわからない。こともあろうに、きちがい兄貴もわかってない。きちがい兄貴に、もし、ほんのちょっとでもそれがわかる部分があったら、あんなことになってない。ほかの人に言ってもつたわらないし、「なおさら」きちがい兄貴に言ってもつたわらないのである。もちろん、そういうきちがい兄貴とおなじ型の脳みそをもっている、きちがい親父にもつたわらない。もともと、きちがい兄貴の『きちがい的な意地』というのは、きちがい親父の『きちがい的な意地』を脳みそ的に引き継いだものだと思う。そういう意味で、兄貴は親父のコピーなのである。で、このことは、一家にふたり!!そういう型の脳みそをもっている人がいるということを意味しているのだけど、これがまた、ほかの人にはまったくわからない効果があるのである。こっちは、死にたくなる。きちがいが、毎日毎日、何時間も何時間も……繰り返しになるけど……きちがい的な意地でやっていることを、認めない。当の本人が認めない。当の本人が「まったくやってないつもりでいる」。その「まったくやってないつもりでいる」ところが、きちがいだと言っているわけ。まったくやったつもりがないから、不適切な発言をするのである。きちがい以外の人だったら、どれだけ意地をはってやったとして絶対に言わないことを言ってしまう。それが、殺したいほど腹がたつことなんだよ。そして、死にたくなるほど腹がたつことなんだよ。そういうことを、毎日毎日、がまんして、暮らしているのだからたまったものではない。けど、ほかの人は、そういうきちがいがいるということがわからないので「不適切な発言」というのがわからない。やられたらわかるのだけど、きちがい家族がいるわけではないからわからない。毎日、きちがい的な意地でやっているのに、まったくやってないのとおなじ意識をもっているのである。まったくやってないのとおなじ記憶をもっているのである。だから、ほかの発言も、まったくやってないという前提で、言うのである。そのすっとぼけた発言に、怒りを感じるのである。それは、そうだろ。だって、ずっとこまっていて、ずっとこまっているということを何万回も言っているのに、相手は、まったく知らない状態で話しているんだぞ。きちがい的な意地でやったことを、やってないつもりで話しているんだぞ。「張本人」がしらばっくれている状態なんだぞ。これが、たえられるか?
不適切な発言と、ぼくが言っても、ほかの人にはわからない。どうして、それがそんなに腹がたつ発言なのか、ほかの人にはわからない。これも、きちがい兄貴には、もっとわからないわけだけどな。張本人のきちがい兄貴が、ほかの人よりも、もっとわからない……。これが、意味することがどういうことなのかわかるか? これが、どれだけ屈辱的で腹がたつことかわかるか? わからないと思う。