ヘビメタ騒音を鳴らされると、ほんとうに、「おしだされるもの」がある。どうしたって、そうなるというものがある。
しかし、ほかの人は、ヘビメタ騒音生活をしているわけではないから、それが、わからない。関連性がないと思ってしまう。そうなると、生きづらくなる。「生きづらさ」を、シンポジウムの議題としてあつかっていた、佐藤(仮名)が、ヘビメタ騒音から発生した「生きずらさ」に関しては、がん無視だよ。そういうレベルの生きづらさじゃない。佐藤(仮名)が感じているレベルの生きづらさじゃないんだよ。
ほかの人がまったくわからない、生きづらさが、不可避的に、必然的に、生じてしまう。何度も言うけど、それは、他人が理解できないことなのである。他人の頭のなかには、入ってないことなのである。
こっちがどれだけ説明しても、ヘビメタ騒音との関連性がわからないことなのである。正確に、イメージが伝わるということがないことなのである。これが、どれだけ、俺の足をひっぱったか?
あれだけやられて、人生がないとなると……人生が台なしになったとなると……音に敏感になる。腹立たしさが、倍増する。きちがい兄貴が無視して鳴らした時間の、ヘビメタ騒音に対する腹立たしさが、いま鳴っている……むかしだったらたいして気にしない騒音に……集中的にむけられるのである。
「自分が我慢してきた」という気持がある。「自分だけ、がまんされられた」という気持がある。
さらに、きちがい兄貴の態度がある。このきちがい兄貴の態度も、ほかの人に、どれだけ説明したってわからない態度なのだ。完全に自分をだましている人間なんて、身近にいるはずがない。
そういう……身近にいるはずがない存在が、ヘビメタをでかい音で鳴らすことにこだわっている確率というのは、相当に低いはずだ。きちがい兄貴の態度自体が、ほかの人には、まったくわからない態度なのである。
そして、ここが肝心なところなのだけど、きちがい兄貴も、まったくわかってない。頑固に、きちがい的な意地で、「そうする」のに、そうしたということもわかってないし、そういう頑固な態度があるということも、わかってないのである。きちがい兄貴にとって、きちがい兄貴というのは、鳴らしてない気ちがい兄貴なのである。
これ、きちがい親父のことまで、話すと話がひろがってしまうのだけど、きちがい親父もそういうところがある。これ、四人家族なのに、ふたりがこういう人間なんて、ぼく以外にありえるのかよ?
障害というのは、ほんとうは、こういう障害だ。これ、本人はまったく気にしてないけど、まわりの「家族だけ」が傷つくのである。その傷つき方は、家族以外の人には絶対にわからないことなのである。
そして、たとえば、きちがい親父はともかく、きちがい兄貴が、ヘビメタを鳴らすことに夢中になって、つねに、鳴らしているとなると、こっちが、障障害になってしまうのである。
しかし、もとはノーマルで……普通の障害者とは、また、ちがうのである。頑固な睡眠障碍だって、障害と言えば障害なのだけど、きちがい騒音の連続が十何年間も続いた人間なんて、めったにいないので、睡眠障害と言っても、また、ちがうタイプの睡眠障害者ばかりなのである。普通の人だって、夜、眠れないということはあると思うけど、それともちがうのである。
ともかく、普通の人から見れば、頑固な、特殊な……睡眠障害じゃなくて、普通の……普通の人が理解できる睡眠障害でしかないわけだから……「かるいもの」だと思えてしまうのである。そして、現に、今目の前にいてあっているなら、「出てこれるんだな」と普通に思ってしまうのである。
けど、それは、まちがった理解のしかたなのである。まちがったことを思い浮かべて、そうだと思っているだけなのである。
まあ、睡眠障害の話は横に置いておこう。ほんとうは、きちがいあと期の頭にこそ、障害があって、普通の人が理解できない態度と普通の人が理解できない認識でずっと鳴らしてしまうのだけど、それが「レア」なことだから、だれも、ぼくの状況を理解できないのである。
たとえば、ぼくから、ヘビメタ騒音で働けないという話を聞いた人は、「少しずつからだを鳴らして働けばいい」ということを、気楽に言うわけ……。
不可能だからこまっているのに、不可能ではないと思っているわけ。
その場合、不可能だということを、ノーマルな生活しかしてない人……ヘビメタ騒音が十四年間つもってない人……が……わかるとというとわからないのだ。
どれだけ言ったって、本当はわからないまま、自分のアイディア(提案)にこだわる。その人のなかでは、ぼくが、できる限り、じゅうぶんに、ヘビメタ騒音障害について説明したとしても、その人が思い浮かべるレベルのヘビメタ騒音障害しか思い浮かべることができない。そうすると、俺を下に見て、侮辱するのである。
自然に、侮辱している。ほんとうは、本人だって、俺とおなじ状態になれば……きちがい家族と一緒に住んでいれば……きちがい家族がきちがい的な特性をいかして、きちがい的な感覚できちがい的にでかい騒音を鳴らせば……おなじような症状が出て、おなじように働けなくなるのに……自分は、だいじょうぶだ……たとえ、やられたとしてもそんなふうにはならない……たとえ、騒音が鳴っていても勉強はできるし、働ける……と思って、そういう前提でものを言ってくるわけだから、屈辱以外のなにものでもない。
ほんとうは、だれだって、あの態度で、あの長い時間、毎日毎日、自分がきらいな音を聞かされ続けたら、七年間ぐらいで、通学も通勤もできなくなるのに、みんながみんな、くそえらそうなことを言う。自分なら、たとえ鳴らされたとしても、通学も通勤もできるという前提で、きちがい的な発言をする。こっちからすれば、むかつく発言をする。あたまにくる。
ヘビメタ騒音は「ものすごい」問題なのに、「かるい」問題としてあつかわれる。理由のひとつは、だれも、ぼくのようにはヘビメタ騒音をあびてないということがあると思う。あびてないから、それがどういうことなのか、経験としてわかってない。きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじで、頑固にやったことは、まったくやってないことになってしまうのである。そういう精神的な?脳みその機能障害があるのである。けど、この脳みその機能障害は、非常にマレで、多くの人が、そういう家族にやれてこまっているというわけではないのである。そして、そういう感覚……そういう脳みその機能障害をもっている……兄貴が、夢中になったことが、自分が満足できる音でヘビメタを鳴らし続けるということなのである。こんなの、ない。うち、以外に、ない。ぼく以外に、経験してない。そうなると、よくある、みんなが経験するような影響ではない影響があらわれてしまうのである。だれだって、騒音はいやだ。けど、持続時間とやっている相手がちがう。だから、「騒音」と言っても、ぼくが経験した、きちがい兄貴が根源である騒音と、ほかの人が経験した普通の騒音はちがうのである。だから、効果も影響もちがう。ぼく以外、経験してないのだから、ほかの人にわかるわけがない。ほかの人は、わかってないということもわからずに、適当にわかったつもりになって……俺のことを批判する。下に見る。下に見て、一般的なアドバイスをする。けど、そのアドバイスというのが、言ってみれば、まったく役に立たないアドバイスなのである。いずれにせよ、今世紀の日本では、通勤できないと、めちゃくちゃに、バカにされるのである。無職だとバカにされるし、引きこもりだとバカにされる。
これ、ほんとうは、経験してないから、わからないだけなのに、能力や性格の問題としてとらえてしまうのである。これが、あたまにくる。あたまにくる。