帰れば、かならずヘビメタ騒音が鳴っている生活だと、ストレスをため込むことになる。この、ストレスが、なんとなく、攻撃にむかうときがあるんじゃないかと思うわけだ。ともかく、感情的にズタボロで、常に腹がたっている状態なのだから、人間関係はうまくいかない。もちろん、ずっとたてまえは維持してきたけど、なんていうのかな? 常にそういう状態だと……ほころびがあるんだよね。いろいろなところで……。なにを言っているのかわからないと思うけど。そして、いらだっているけど、他人に攻撃されやすい状態になっているわけだ。どうしてかというと、ヘビメタでつかれまくっているからだ。そして、勉強することもできないので、当然、「あたまがいい」というようなおさえがきかない。家で、勉強することができない……勉強したいのに……勉強することができないというのが、また、爆音とともに、すごいストレスなんだよな。やはり、いらだっているわけだから……。だから、まあ、いらだったり、猛烈に鬱になったりするわけだけど、それが……その出所が、ヘビメタ騒音なんだよね。きちがい兄貴の態度なんだよね。きちがい兄貴の態度と言ったらない。だから、なにも気にしないで鳴らしているわけだから、ぼくの感情を、常に、音で踏みにじっている。そういう態度でなければならせない音で、ずっと鳴らしているということは、音で、ぼくの感情を常に荒らして、常に踏みにじっているということだ。やはり、これは、どれだけ我慢しても、ストレスだ。いま考えてみると、「どうしてそういうことになっちゃったのかな」と思うようなことがある。そういうやりとりがある。
「やっちゃいけないことをやっている」わけなんだけど、「やっちゃいけないことをやっている」という感覚がきちがい兄貴にはまったくない。腹だたしいことだ。
「やっちゃいけないことをやっている」と言うけど、ほんとうにやっちゃいけないことなの?と思う人がいるだろう。たいした音で鳴らしているわけじゃないのではないかとぼくの言っていることをうたがっているやつだ。そいつだって、きちがい兄貴みたいな態度で、自分のきらいな音を、あのでかい音!!で聞かされたら、おこるし、そういう生活がずっと続けば、『きちがい兄貴はやっちゃいけないことを、まったく気にしないでやっている』と思うようになる。 うち以外じゃ、ありえない音だ。きちがい兄貴だって、もし、おばあちゃんの家にいそうろうしていたら、鳴らせない音だ。けど、「うちなら」鳴らしていいというスイッチが、入ってしまう。このスイッチは無意識的なスイッチだから、ほんとうに、よその家じゃ鳴らせない音で鳴らしていても、気にしない。鳴らしていい音で鳴らしていると、意識的には、心底思っている状態で鳴らすことになる。そういうところで、きちがい兄貴がきちがい的な感覚をもっているのだけど、それは、ほかの人にはまったくわからない。こういうきちがい的な状態が、どれだけ、腹立たしいものか、わからない。「ほかのうちでは鳴らせない音だ」ということは、「ほかのうちでは鳴ってない音だ」ということだ。ほかの人は、そういう音で、家族の一員が、ずっと、音を鳴らし続けるということを、経験してない。腹がたつに決まっているだろ。そして、きちがい兄貴の態度だけど、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の態度にまったく気がつかない状態で鳴らしているわけだから、こっちは腹立たしくなるだろ。へんなところでスイッチが入っているから、ほかの人が人生のなかでまったく経験しないことを、十数年にわたって、毎日経験したことになる。ほかの人は、まったくわかってない状態で「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「過去のことなら関係がない」「鳴り終わったら関係がない」と言う。関係あるよ。そりゃ、自分の人生のなかで、家族が、きちがい的な意地でそうしなかった人の人生のなかでは、それがどういうことなのか、まったくわからないから、影響力もわからない……。鳴っているということが、未来にあたえる影響がまったくわかってない。一日の期間の長さでも、人生という期間の長さでも、わかってない。影響力がわかってない。不可避的な影響が出るということがわかってない。自分もおなじ経験をした人だって、自分のことでなければ、ひとごとだから、基本的にはわからない。けど、きちがい兄貴が無意識に問題があるきちがい的な人間なので、きちがい的な家族がいない人には、きちがい兄貴の態度自体がまったく、わからないということになる。さまざまな障害に対するケアや他者の理解というものがあるけど、きちがい家族にやられた人以外は……この障害がどれだけでかい障害かわからない。きちがい家族と一緒に住んでいるということは、個人固有の障害になってしまう。きちがい的なやり方で……つまり、きちがい的な態度でやられ続けたということが、じつは、個人固有の障害になるわけだけど、個人固有の障害としては、まったく認められない。きちがい家族が、きちがい的な態度で騒音を鳴らし続けたという……こっち側の障害に関しては、まったく理解がない。やられてない人……一般人は、このことに関する理解がない。きちがい兄貴のきちがい的な態度が、こっちの感情的な障害になってしまう。ほかの人は、きちがい兄貴がきちがい兄貴だということを理解しない。「あの態度はない」と言ったって、わからない。やられてなければわからない。いっしょに住んでなければわからない。
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