なにをやるにしてもめんどうだな。ちょっと考えただけで、なえる。なにもやりたくない。だからぁ……ネズミと、ネズミのダニ、ネズミの糞という問題が生じなかったら、こんなことになってない。きちがい的な意地で、ネズミを入れやがって……。きちがい的な意地で、ネズミ対策工事を拒否しやがって……。その前に、ヘビメタ騒音の影響があるのである。ヘビメタ騒音の影響がベースになっている。
みんな勘違いしているけど、ぼくは、騒音耐性が高いほうで、なおかつ、生活体力があるほうなのである。それが、ヘビメタ騒音と通学生活で、ぼろぼろっになった。騒音耐性が低くなった。騒音全体にしたいして、敏感になった。がまんができない感情になる。ヘビメタ騒音がその時点で七年間続いていなかったら、これまた、そんなことにはなってないんだよ。これも、実際に七年間、毎日毎日、自分の嫌いな音が、ものすごい音で鳴っている生活をしてない人は、『そんなことにはなってないんだよ』と俺が言ったとき『そんなのはわからないよ』とい言うかもしれない。いや、わかるんだよ。わかってないのは、七年間毎日、あのヘビメタ騒音を経験してない君たちのほうだ。
ほかの騒音であっても、騒音に生活を踏みにじられた経験があると……その時点で七年間、無視されて鳴らされていたとすると……きちがい兄貴に対する怒りや、きちがい騒音に対する怒りが、その「いま、鳴っている」騒音に向かってしまうのである。その騒音をいま鳴らしている人に対して、きちがい兄貴に対する怒りが向かってしまうのである。ため込んだ「騒音をがまんしているときの怒り」が向かってしまうのである。その騒音に対して、きちがい兄貴のヘビメタ騒音に対する怒りが向かってしまうのである。ため込んだ「騒音をがまんしているときの怒り」が向かってしまうのである。つもっているヘビメタ騒音に対する怒りがめちゃくちゃにでかいのである。つもりつもっているきちがい兄貴の態度に対する怒りがめちゃくちゃにでかいのである。騒音が鳴っていると、騒音が鳴っているときだけではなくて、騒音が鳴ってない時間も、いろいろなトラブルが発生してしまうのである。宿題だってなんだってそうだ。体育祭だって体育の授業だってそうだ。これ、その授業中にヘビメタ騒音が鳴っているわけではないのだけど、前日、数時間から十数時間あびたヘビメタの影響が出る。宿題をやる時間にヘビメタが鳴っていて、宿題ができなかった場合は、学校に行って、問題がしょうじるのである。学校にいる間は、ヘビメタ騒音が鳴ってない時間だ。けど、この鳴ってない時間が、鳴っている時間の影響をうけないかというと、うける。絶望的に、うける。これ、不可避なのである。経験してない人は、あたかも、回避可能だと思っているのである。それは、実際に鳴っている生活をしてないからだ。毎日に、何時間も何時間も横の部屋の狂人家族が、きちがい的な音を出している生活を経験してないからだ。