ほんとう、このさき、どうしようかな。
やっぱり、長期ヘビメタ騒音なしで、暮らしたかった。普通の小学生生活、普通の中学生生活、普通の高校生生活、普通の大学生生活をしたかった。したかった。長期騒音で、ぼろっぼろ。まあ、こっちに書くようなことじゃないけどね。
あーー。ともかく、頭のなかがぐちゃぐちゃで、からだがしんどくて、いつもいつも、きちがい兄貴による騒音が鳴っていて、つらかった。猛烈につらかった。
全部、俺のせいになる。
不可避的に、「できなくなる」のに。
騒音が鳴ってなかったら、「できること」なのに。鳴ってできなくなったら「できないこと」になってしまう。
どれだけ、「ヘビメタ騒音が鳴ってなかったらできる」と言ったって、むだだ。できないようになって、「できない現実」と向かい合わなければならなくなる。
それが、どれだけつらいか、みんなわかってない。どれだけ努力したって、どれだけ影響をうけないようにしたって、普通に眠ることすらできなくなる。
勉強にしたっておなじだ。きちがいヘビメタが鳴っている空間というのを、みんなは、一倍速で経験したわけじゃないから、一日に約七時間から十三時間鳴っているだけで、生活すべてが、めちゃくちゃになるということがわからない。「努力」とか関係がないから。死にものぐるいの努力をしても、崩壊をとめられない。死にものぐるい努力をするしかないのだけど、死にものぐるいの努力をすると、からだが、もっと弱っていくのである。余裕がある状態で「普通に努力する」ということを感がている人たちばかりだけど、きちがい騒音生活のなかで努力をするということは、けっきょく、破滅につながる。みんな、ほんとうにわかってない。「コツコツ努力すれば成功する」なんて、あほなことを言っているやつは、きちがい家族がいるうちのことがぜんぜんわかってないんだよね。きちがい家族が、きちがい家族の基準で、きちがい的な音を、きちがい的な意地で鳴らすということが与える影響がまったくわかってない。「無視すればいい」。「無視できないから、こまっているんだろ」。自分がめぐまれていたから、きちがい家族がふたり、いる状態というのがわからないのである。無意識に問題がある家族が四人家族のなかで、ふたり、いるということがどういうことなのかわかってない。わかるわけがない。ひとりだって、たいへんなのに、ふたり。めぐまれた環境のなかですごした人は、めぐまれた環境のなかでの「努力」しか思い浮かべることができない。「努力できない状態」が思い浮かばない。努力が、プラスにならないで、マイナスにしかならない状態というのが、思い浮かばない。