きちがい兄貴は、なにもやってないつもりなんだけど、一日だけでも、被害がすごい。
この被害のでかさが、ほかの人にはわからない。
「ふつーのそうおん」だと思っている。ぜんぜん、ちがう。幼稚園の園児の出す騒音、普通の工事の騒音……兄貴のきちがいヘビメタの騒音……ちがう。ぜんぜん、ちがう。
ヘビメタが好きな人だって、「こんな音で鳴らしていいの?」「家族の人がかわいそうだよ」「俺は、うちでこんな音で鳴らしたことはない」と言った音だ。きちがい兄貴が「だいじょーぶ、だいじょーぶ」とかこたえたのだ。あたまにくる。
だいじょうぶなわけがないだろ。「だいじょうぶじゃない。宿題ができなくてこまっている」と言っても、きちがい兄貴は、きちがい親父のように無視して、鳴らしやがる。
ほかの人は……たとえば、教師は「なんで、泉水(せんすい)は、宿題をやってこないんだ」と言い、それを聞いたほかの生徒は「泉水(せんすい)はだらしないやつだな」と思うわけだ。
しかし、どれだけやっても、やろうとしても、精一杯頑張っても、どれだけ無視しようとしても、きちがいヘビメタが、ガンガン鳴っていると、宿題ができない。なってなければ簡単にとける問題も、まったくとけない問題になる。そして、とけない感触が残ってしまう。
ああっ、先生が 「なんで、泉水(せんすい)は、宿題をやってこないんだ」と言ったときに、ヘビメタ騒音のことを言ってもむだなんだよ。これは、どの先生でもむだだった。そんなに深刻な問題だと思わないんだよな。
「言えばやめてくれる」という考え方が、かわらない。こっちはこっちで、かわらない。きちがい兄貴の態度がわからない。脳みそのいかれぐあいが、わからない。普通の人には、きちがい兄貴の、脳みそのクセがわからない。
ほんとうに、感覚器を書き換えて、「うるさい音で鳴らしてない」と思ってしまっていて、その思い込みが、強すぎるのである。こんなの、精神障碍者の妄想にひとしい。どれだけ言っても、わからない。どれだけ言っても、まったくつたわらない。信念のように、「でかい音で鳴らしてない」と思っている。
この状態がずっとずっとずっと、かわらない。毎日ずっとずっと、かわらない。毎年ずっとずっとかわらない。きちがい兄貴が、きちがい兄貴の頭のクセを利用して、まったく気にしないで鳴らしている状態が、どれだけ異常な状態か、ほかの人にはわからない。
そして、ほかの人は、きちがい親父の「頭のクセ」もわかってない。
ふたり、そろうと、すごいんだよな。ばかパワーがすごい。これは、普通の人の誤解を呼び込む。普通の人は、絶対に理解できない。普通の人が絶対に理解できないことが、毎日、「うち」では起こりまくっている。
普通に、ずっと、きちがい行為が発生しているということになる。
けど、きちがい行為をやっているやつらは、『きちがい行為をやってない』と思っている。
まったくやってないと思っている。
「まったくやってない」と思ったまま、固執して、固執して、頑固に頑固に、一歩もゆずらずにやりきる。
そして、ふつーーの人は「そんなきちがい行為をする人はいない」「やっているのにやってないと思っている人なんていない」と思って、俺が、まちがったことを言っていると思ってしまうのだ。
ふつーーの人から見ると、俺がへんなことを言っているように思えるのだ。
こういう、へんなしめつけは、きちがい家族がいる人……以外には……わからない。きちがい兄貴ときちがい親父がへんな人なのに、俺がほかの人から、へんな人だと思われるのだ。こういう構造がある。で、この構造は、強固な構造だ。
そして、きちがいヘビメタ騒音で、ぼくが、働く能力をうしなうと、「無職という属性」がぼくに付け加わる。そうなると、ふつーーの人の、無職に対する偏見がものを言うようになるのである。
こうやって、きちがい家族にやられた人が、どんどん、へんな人だと思われるようになるのだ。きちがい兄貴の騒音で働けなくなるのは、ふつーーのことだ。だれだって、それこそ、あれをやられたら、働けなくなるのである。
けど、ふつーーのひとの人生には、それがしょうじなかった。自分の人生にしょうじなかったら、わからないんだよ。どれだけひどいことかわからないんだよ。「どーーしても、働けなくなる」ということがわからないんだよ。
わからなかったら、「泉水(せんすい)さんは、はたら「け」るのに、さぼって働いてない」と思うようになる。これまた、そういうふうに思っている人に「ヘビメタ騒音で働けなくなった」と言っても、わからないままなんだよ。必然性がわからない。
働けなくなるという必然性がわからない。
その人たちにしてみれば、ヘビメタ騒音は、働けなくなるような効果があるものではないのである。そして、「過去のこと」であれば、「過去のことは関係がない」と思うのである。また、そういう人は「エイリさんも過去のことにこだわらなければいいんだ」と思うのである。
で、このふたつ……「過去のことは関係がない」ということと「過去のことにこだわらなければいい」ということは、俺を激しく傷つけるのだ。どうしてかというと、きちがいヘビメタ騒音のなかで、がんばってきたから……。こいつら、まったくわかってないな。
「こいつら、まったくわかってないな」と思う。このふたつについても、ここで語ってきたので、もう、くわしくは説明しないけど、こういう意見が、案外、毎日毎日、きちがい家族にやられてきた人を、おいつめるのである。