あーあ、俺の人生ってなんだったんだろうね。
なんか、むかしのパソコン雑誌をヤフーオークションで探しているときに思う……。買うかどうかまようんだよな。どうするかな?
パソコンについても、いろいろとあるんだよ。ほんとうに、うまくいかなかった。うまくいかなかった。願望どおりにならなかった。希望通りにならなかった。重たい。気分が重たい。やっぱり「そのとき」じゃないとだめなものってあるんだよね。「おまえ、買ったじゃないか」……。「買ったけど、時期がずれている……。時期が……」。あーあ、カネがないとこういうところでも、いやな思いをすることになるんだよね。不愉快しかない。
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「あのとき、14万円あればできたこと」「あのとき、あのとき、あのとき……」
「できるカネ」というのがあるんだよ。「望みをかけたカネ」というのがあるんだよ。そのカネは、満ち足りた人が感じる「カネ」とはちがう。これ、ほんとうに、「生まれの格差・上」の人は、根本的に理解してないんだよな。ものすごくめぐまれた家に生まれた人が、めぐまれた仕事をして、めぐまれた家庭を築きました……。そのめぐまれた人が、「しあわせはおカネじゃ買えない」などと言っても、「なんだかな?」という気持にしかならない。こういう人は、自分がどれだけめぐまれているか、まるでわかってない。「カネがなくてできない」ということが、根本的にわかってない。
たしかに、「しあわせはおカネでは買えない」。これは、事実だ。けど、カネがないと、ふしあわせなことが、たくさん発生するということも事実なのである。これがわかってないんだよな。めぐまれすぎて、これが、まったくわかってない。「おカネではしあわせは買えない」……そこで言われているしあわせというのは、究極的なしあわせなのである。「できるカネ」がなければ、やるまえに挫折してしまう。できないからだ。できない状態は、しあわせかね? できない状態は不幸だろ。
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生まれの格差を無視して、「幸福な自分が、不幸な人に幸福になる方法を伝授しましょう」なんて言っているやつが、信用できるわけがないだろ。生まれの格差が影響している。親が人格者で、親がおカネをもっていて、小さいときから「おカネがなくてできない」ということを経験したことがないやつと、親がきちがいで、親がおカネや持っていなくて、小さきときから「おカネがなくてできない」ということばかりを経験してきたやつの差がないとでも言うのか? 「子供時代のことなんて関係がない」……こういうやつらは、みんな、こういうふうに言う。「大人になったら、未成年時代のことは関係がない」……ほんとうにそうかね? 今その時点での格差は、未成年時代の格差が影響しているのではないか? 未成年時代ってけっこう長いよ。そのあいだの「経験の格差」が、たとえば、未成年終了一か月前の格差をつくっているのじゃないの? 未成年時代が終了するまえ、どんな学歴で、どんなことかできるようになっているかということが重要なんじゃないの? 成年時代をスタートさせるときに重要なんじゃないの?
生まれの格差「上」の人が、そろいもそろって「子供時代のことは関係がない」「過去は関係がない」ということを言うんだよ。こんなの、詐欺。
ちなみに、「コツコツ努力すれば成功する」という二項目文のなかにも、「生まれの格差」という文字は入ってない。項目として入ってない。これは、意図的に、視点をずらす意図がある……とは言わないけど、視点をずらす効果がある。悪魔の容器のなかで、生まれの格差がある。これが重要なのである。「努力」だけが「成功するかどうか」を決める? はぁ? なに言っているんだよ? なに言ってんの? 悪意があると考えても不思議じゃない。めぐまれている人が、めぐまれていない人に対して「努力」だけに焦点をしぼったことを言う……。これって、「視点ずらし」だよね。視点をずらそうとする意図があるか、ないかに関係なく、視点をずらすことには、成功している。まさしく成功。そういうことを言っている人に視点をずらす意図があるかどうかは別にして、視点をずらしている。ほんとうは、努力なんかよりも、生まれの格差のほうが重要だ。重要な項目だ。どうして、重要な項目を、がん無視してしまうのか? なんか、意図でもあるのか? 本人も気がつかない意図? 本人も見ようとしない意図? なんか、まずい意図でもあるんじゃないか? 本人も気がつかない、人に知られたらまずい意図でもあるんじゃないか?