みんながみんな、努力すると、社会の圧力が高くなるのである。そして、搾取構造が成り立っているので、支配者層に流れるカネの量が増えるのである。なので、よくない。
たとえば、椅子の数と階層数が一致するピラミッド社会を考えてみよう。一階層目にイスが一個、二階層目にイスが二個、三階層目にイスが三個、四階層目にイスが四個、五階層目にイスが五個、六階層目にイスが六個、七階層目にイスが七個、八階層目にイスが八個、九階層目にイスが九個、一〇階層目にイスが一〇個という感じだ。みんなが椅子取りゲームをしている。「努力すれば、成功する」と言われているので、上の階層のやつを、引きずりおろしてでも、自分が、上の階層の椅子に座ろうとする。あがるのはむずかしいけど、落ちるのは簡単だ。たとえば、病気になれば、努力できなくなり、努力している相手に押されてしまう。そもそも、もっとひどい病気になれば、椅子に座っていることができない。そのほか、失敗をすると、座っている椅子から落とされる。一一階層目は、死だ。床におちたら、死ぬ。そういう設定だ。生活保護があるじゃないかというような話になるかもしれないけど、どのみち、正常に機能してない生活保護というようなものは存在しないとする。働かなければ、生きていけないシステムのなかで、働けなくなったら、床に落ちて死ぬ。椅子がひとつでもあけば、その一つの椅子に、下の人が全員、むらがる。他人を押しのけて、座ったものが成功者だ。他人を押しのけることを「より高い椅子に座る努力」と言っているのだ。なので、みんなが、少しでも上にあがるように努力すると、社会の圧力が高くなるだけなのでよくない。社会の圧力が高くなると、ぎすぎすして住みにくくなる。そして、搾取構造から言って、一階層目と、一〇階層目の差がひろがる。金銭的な差がひろがってしまう。これも、ぎすぎすした社会の原因になる。社会が、より、いびつになる。
「コツコツ努力すれば成功する」といったような一見無害な二項目文が、じつは、社会の圧力をあげ、人のこころをくさらせるのである。これは、悪魔側の思想支配だ。ほんとうは一〇階層の人は、どれだけ努力しても、成功しない。つかまるかどうかは別にして、詐欺的な行為でカネをもうけるだなのである。これは、見せかけの成功だ。まあ、それも、例外中の例外だ。はっきり言えば、成功するかどうかは、最初から生まれの格差で決まっているのである。第一階層の人は、努力しなくても、成功する。第一〇階層の人は、どれだけ努力しても、成功しない。せいぜい、第九階層にあがれるだけだ。それだって、本人してみれば、ものすごい成功だ。第一〇階層の人が第九階層に行く……どれだけのことを犠牲にして、一階層分だけはいあがったか。まあ、それは、本人が死ぬときにわかるのだろう。