2023年3月19日日曜日

「うち」でやっているかぎり、殺されないとやめることができない……『うちでなら』やってもいい

「たいして、でかい音で鳴らしてない」と思ってしまっていて、その思い込みが、強すぎるのである。こんなの、精神障害者の妄想にひとしい。どれだけ言っても、わからない。どれだけ言っても、まったくつたわらない。

信念のように、「たいして、でかい音で鳴らしてない」と思っている。けど、きちがい兄貴の音は、きちがい兄貴ですら、うち以外のところでは、鳴らせないほどでかい音だ。実際、きちがい兄貴が、いま住んでいるマンションでは、鳴らしてない。

鳴らせないのだ。

「マンションで鳴らすには、でかすぎる」ということを知っているからだ。けど、『きちがい親父がつくった家』なら鳴らしていいのである。『きちがい親父が自分にしたことを考えるなら、鳴らしていいのである』。きちがい親父が当たり前にやってきたこと……それは、きちがい兄貴が、『うちでなら』やってもいいと思うことだ。

そして、これが、無意識的な信念になっている。基本きちがい兄貴は、きちがい親父と頭の構造が同じなので……こういうことに関係する頭の構造が同じなので、そういう考えがなくても、そうする。自分がやりたかったら、一切合切無視して、やる。

この「自分がやりたかったら、一切合切無視して、やる」ということも、きちがい親父がずっとずっと毎日毎日、毎時間、毎分毎秒、やってきたことなのである。どうしてかというと、そういう脳みそ以外の脳みそがないからだ。そういう頭を搭載して、生きている。

だから、呼吸をするように、そうするし、そうすることにかんして、まったく、問題だと思わない。「自分がやりたかったら、一切合切無視して、やる」し、「そうしてもまったく問題がない」と思っている。

そういう状態で、暮らしている。生きている。

生きていないときがないから、生きているあいだはそうする。

けど、「よそ」でそれをやると、反発をくらって、自分が窮地に陥るのである。それがわかっているからやらない。けど、「うち」でなら、押し切っても、自分が窮地に陥ることがないので、やるのである。そういう、気持ちがある。根底にある。無意識的にある。問題なのは、そういうふうに意識しているわけではないということだ。

「よそ」でやると、問題になるからできないけど「うち」でやるなら、問題はない……とはっきり意識してそうしているわけではないのだ。問題なのは、まったく意識してないということだ。まったく意識してないけど、本人はその通りに動ている。

そして、その通りに動いしているということについて、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、まったく自覚がいない。認識がない。主体? ここでは、親父と兄貴だね。主語? ここでは、親父と兄貴だね。

親父も兄貴も、おなじような? 頭をもっていて、おなじような無意識的な信念にしたがって、そうするのである。そして、「自分がそうしている」ということは、認めないのである。頑固に無視している。「やったってやってないこと」のうちのひとつだ。これは、認めないということを認めないということだ。やっていることを認めないということではない。

けど、「認めないということを認めない」ということと「やったってやってない」という認知が、同時に成り立っているのだ。これは、別の層の話だ。層は、ちがう。けど、同時に成り立っている。

で、ともかく、別の回路になってしまうのである。「よそ」ではやってはいけないということが、ごく自然にわかることでも、「うち」でなら、やっていいということになってしまうし、「うち」でなら、やっていいということになっているということが、どこまでもどこまでも、疎外されているのである。本人にとって疎外されているのである。

ようするに、自分のことであっても、自分のことではないのである。

そういうことが、ごくごく、自然に成り立って、きちがい的な意地でヘビメタを鳴らして、わけのわからない? 構造によって……そのことを……ごくごく自然に無視してしまう。

これは、本人にとってだけ、都合がいいことなのである。

問題行為を、絶対にやりたい……問題行為をやろう……問題行為をやっているさいちゅうに、だれがなにを言っても、きかないでやり続けよう……けど、そうしていることは、意識にのぼらせないようにしよう……。

こういう状態で、頑固に頑固にやり続けるのである。

こんなの、「うち」でやっているかぎり、殺されないとやめることができないということになる。相手がどれだけ「やめてくれ」と言ってきても、やめてやる必要性がないのだからそうなる。「やったっていいことをやっている」という感覚で、やりきるけど、本人のなかでは、同時に「やってない」ということになっているのだから、まったく反省ができないのである。

だれかが……「うち」のだれかが……やめてくれと言ったって、そんなのは、きかなくていいのである。きくかどうかは、自分で判断していいことになっているのである。これも、ちょっと、アドラーの「相手がどれだけがみがみ言ってきても気にしなくていい」「相手の言い分が正しいかどうか自分で判断できるし、判断はまちがってない」というのと似ているんだよね。

「相手の言い分が正しいかどうか自分で判断できるし、判断はまちがってない」という前提が、これまた、見えない前提として成り立っている。言語化されることもあるけど、つけたしで、言語化されるだけだ。「自分でよく考えればよい」のである。

「自分でよく考えても、問題行為だとは思わないやつが、問題行為をしている場合」は、事前に除外されているのである。この、アドラーというやつは、ほんとうに単純なやつだ。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。