ヘビメタ騒音がなければ、言霊の人があらわれたときだって「そうですよ」で、すんだ。完全にすんだ。
けど、ヘビメタ騒音があるとそれでは、すまない。言霊が成り立たなかったという経験がある。
くるしいなかで、どれだけなにを言っても、それは、現実化しない。
普通の人が言霊にこるのは、自己暗示の部分の有効だからだ。けど、それなら、自己暗示は有効だと言えば済むことだ。言ったことが、現実化すると言うべきではない。言ったことと、出来事が、時間的に接近している場合、言霊を信じている人は「言ったからそうなった」と思ってしまう。
けど、それは、「言ったから」ではなくて、別の理由でそうなっている。あとは、自分の身体系のことで、意識的な意志にしたがう、肉体的な動きは、たしかに、自分が言ったあと、そのように動けば、そのように動いたということになる。これは、言ったことが現実化したということだ。
けど、それは、自分の意思で肉体的な動きをしただけで、肉体的な動きができる状態でそういうふうに言って、そういうふうにしただけだ。身体的なことでも、自分の意思ではどうすることもできないことがある。たとえば、あのワクチンのm-RNAは、ACE2受容体から、細胞内に入るのだけど、自分の意思でそれをやめさせることができるかというとできない。
ACE2受容体は、栄養素を細胞内にとりこむための受容体だ。m-RNAの一部を、栄養素に似た配列にしたので、ACE2受容体が勘違いして細胞内にとりこんでしまう。
(これ以降の文は、いろいろな理由があって省略・中略)
そのあと、m-RNAは、核によっていって、いろいろな「わるさ」をするのだけど、それは、省略する。いろいろと、省略するけど、m-RNAに侵入された細胞は、細胞膜がこわれて、なかみがでてしまう場合と、スパイクたんぱく質が細胞膜から突き出た状態になる場合がある。
スパイクたんぱく質が細胞膜から突き出た状態になると、やばいことがしょうじる。たとえば、毛細血管の内側というのは、つるつるなんだけど、突き出たスパイクたんぱく質の(とげ)によって、つるつるではない状態になってしまうのである。
このような状態になると、血小板が毛細血管の内側にかたまり(血栓)をつくってしまうのである。全身の毛細血管がつまると、「だるい」と感じるようになるのである。けど、通常の検査では、毛細血管がつまっているというのはわからない。
なので、慢性疲労症候群だと判断される場合が多い。まあ、血小板が減っているということはわかるので、血小板減少症だと判断される場合もあると思う。この場合、m-RNAに対処しなければならないのだけど、日本の医者はm-RNAには対処しないのである。
なので、血小板を増やすような方向で治療をおこなうのだけど、もともとの、原因であるm-RNAをどうにかしないとだめだろうと、ぼくは、思う。血小板減少症でもだるいと感じることはあるのだけど、ともかく、全身の毛細血管がつまっているだけで、だるいと感じるのである。人間は……。この場合、病(やまい)は気からと「気のせい」にしてもしかたがない。
しかし、「だるい」というのが、主観的な感情や感覚の表現なので、気のせいにしてしまう場合もある。ながながとm-RNAの説明をして、なにを言いたいのかというと、体内の物理的な運動を無視するなということを言いたいのである。たしかに、ほうっておけば、回復する「だるさ」もある。しかし、ほうっておいても、回復しない「だるさ」もある。
だから、「だるい」と表現されることでも、このふたつは、区別しなければならないのである。けど、言霊主義者は、この区別をしない。「元気だ!元気だ!」と言えば、かならず、言霊の力によって、元気な状態になるのである。
「だるくない!だるくない!」と言えば、かならず、言霊の力によって、だるくない状態になるのである。例外なく、かならず、言ったとおりになるのである。言っても、その通りにならないなんてことはないのである。「すぐに元気になる」と言えば、かならず、すぐに元気になるのである。どうして元気になるかというと「すぐに元気になる」と言ったから、元気になるのである。
しかし、たとえば、全身の毛細血管に血栓ができている場合は、毛細血管の血栓をとかして、除去したり、スパイクたんぱく質を除去して、普通の毛細血管にしなければならないのである。さらに、そういうことをひきおこしたm-RNAを無効化しなければならない。そういうことをしないで、「元気だ!元気だ!」「 だるくない!だるくない!」と何回も何回も言っても、元気にならない。だるい状態が続く。
なので、言っても、その通りにならない状態が続く。
だから、言霊は宇宙をつらぬく絶対法則ではない。むしろ、物理的な運動が宇宙をつらぬく絶対法則なのである。からだの内部にある原子的な、あるいは、分子的な運動や、その結果を無視して、「気のせいだ」と言ってもしかたがないのである。自己暗示的な意味で言霊をつかっている場合は、それでいい。希望がかなうと信じて行動するのはいい。けど、からだのことについて、まちがったことを言うのは、問題がある。
毛細血管の血栓について話したのだけど、きちがいヘビメタ騒音にさらされた場合も、「からだのへんか」がある。けど、普通の人は、騒音なら回復可能なダメージだと思ってしまうのである。なので、心理的な問題だと思ってしまうのである。実際に「だるい」と言ってしまった場合には、「感情」の問題になる。けど、ヘビメタ騒音のダメージをうけないで、「だるい」と言っているのと、ヘビメタ騒音のダメージをうけて、「だるい」と言っているのは、質的にちがいがある。けど、そういう質的なちがいを無視して「気分の問題だ」と判断されてしまうのである。たとえば、朝、学校に行きたくないとする。それは、気分の問題だと思われてまう。もちろん、きちがいヘビメタ騒音ですでにトラブルが多発しているのだから、生きたくなくなる理由はある。けど、前の日!約七時間、過激なヘビメタ騒音にさらされたということが、重要なことなのである。物理刺激と、それに対する体の反応というものがある。肉体をもって暮らしているのだから、当然、肉体の影響をうける。ヘビメタ騒音を七時間あびたあとは、何時間も何時間も眠れなくなる。入眠できなくなる。これは、人間の体の物理的な反応なのだけど、きちがい家族が絶対に約七時間、きちがい的な音を鳴らし続けるということを、毎日毎日、経験したことがない人にはわからないことだ。ちがうのである。一時的な騒音とはちがう。毎日毎日、続くわけではない騒音とはちがう。ぜんぜんちがう。からだの物理的な反応がちがう。そして、睡眠に影響が出ると、次の日のすべてに影響が出てしまう。これも、睡眠時間が極端に少ないけど、精神で乗り越えるということは、一時的にはできるけど、毎日続いた場合は、できない。ようするに、精神で乗り越えようとする努力が、新たな問題を生み出してしまうのである。それも、自分のからだにかかわることだ。自分のからだのなかの、物理的な運動にかかわることだ。これ、自分のからだのなかの、物理的な運動を、自分の意志で制御することができないのである。しかし、精神世界の人や、家族による継続的な騒音を経験してない人は、からだのなかの、分子的な運動を無視してしまうのである。からだのなかの、分子的な運動の結果を無視してしまうのである。どうしてかというと、第一には「他人のからだのこと」だからだ。第二には、「精神」だけを重視して、肉体を軽視してしまうからだ。
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あと、ここを読んでいるかどうかわからないけど、遠隔ヒーリング(遠隔治療)というのも、詐欺だとぼくは思う。統失の人のなかにも、いい人はいる。あなたは、いい人だと思う。ただ、やっぱり、アトラクションの近くにいたから恐怖を感じたということと、毎日のヘビメタ騒音はちがう。一四年間、毎日続いた、騒音とはちがう。効果がちがう。影響がちがう。