これは、たいへん、言いにくいことなのだけど、「生まれの格差」について言及することは、一種のタブーだ。これは、洗脳された状態だ。どうしてかというと、普通に考えれば、「生まれの格差」というのは、まず、第一番に考えなければならない項目(要素)なのである。しかし、生まれの格差について言及すると、「甘えだ」というようなこたえが返ってくる。基本的なことを言えば、「生まれの格差」について言及しているほうも、なんらかの、ばつの悪さがあるのである。「言いにくい感じ」があるのである。これは、自己差別だと思う。自己差別が生じるようなすごい洗脳がおこなわれたのだと考えると、納得がいく。
まあ、こういう書き方だと、わからなくなってしまうかな? ようは、格差にかんしては絶対に認めたくないグループがいるのである。一軍の生まれの格差「上」である人たちだ。この人たちは、二軍の「上」から「下」までのグループに(すべての人に)生まれの格差がほとんどすべてのことを決定しているということを、認めさせたくないのである。感じさせたくないのである。感じないように、洗脳する必要がある人たちなのである。支配者層と、二軍の「下」のあいだには、ものすごい格差がある。成功やしあわせに関係することは、だいたい、生まれの格差で決まってしまう。もちろん、例外はある。あくまでも、「だいたい」だ。彼らは、「努力」や「性格の良さ」を持ち出す。まあ、努力することができるということ自体が「なんとなく、性格の良さをあらわしているように見える」のではないか? ちがうか? まあ、ともかく、生まれの格差ではなくて「努力の格差」なのだというイメージをつくりたいグループがある。そのグループは、一般の人からは、見えないレベルの支配者グループだ。だれがそのグループのメンバーになるかということが、決まっているのである。「生まれ」で決まっている。ほぼ、世襲制だ。まあ、例外はあるけど、ファミリーなのだ。一族なのだ。
彼らにくらべれば、「二軍の上の上」は、「つかいっぱ」のようなものだ。手下。まあ、使える上級奴隷だ。けど、これも、いろいろな手段で、支配している。手法はいくつかあるけど、ともかく、彼らにとっては「二軍の上の上」なんて、あかごのようなものだということは、いちおう考えておく必要がある。そのくらいに、差がある。これは、生まれの格差だ。
しかし、われわれは、常に、見えるところの「格差」を問題にしているのである。一軍は支配者層。二軍の「上の上」は被・支配者層。二軍の「上の上」は、そりゃ、二軍とはいえ、二軍の支配者だ。まあ、一軍の代理人といったところかな。ともかく、二軍のなかでも、「上の上」と「下の下」では、天地の差がある。天地の差がある。この、天地の差を、ないものとしてあつかうことが、「はやっている」。
これは、もう、洗脳だ。格差について語るのは、ダサいことなのである。かっこう悪いことなのである。これは、洗脳の結果だ。この洗脳は、ものすごく深い洗脳だ。だから、生まれの格差・下の人もそういう考え方をもっている。そういう感覚をもっている。考えるまえに、「生まれの格差について語るのはダサいことだ」と思ってしまう。感覚としてある。だから、自己差別がはじまる。自分で自分を差別しているのである。これは、同様に、生まれの格差・下である人にもむけられる。「そんなのは、あまい」「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、負け犬の遠吠えだ」「そんなのは、未熟だ」「そんなのは、いいわけだ」「そんなのは、嫉妬しているだけだ」「親のせいにするな」「家族のせいにするな」……こういう言葉が、自分と同様に生まれの格差・下である人にむけられる。かくして、相互監視状態になる。
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「親のせいにするな」……
「親のせい」と言う場合には「実際に親のせいである場合」と「実際には、親のせいではない場合」がある。ごちゃまぜにするな。「だれだれのせい」という言い方には、もともと、そのだれだれのせいではないのに、だれだれのせいにしているというニュアンスがある。だれの行為が原因でそういう結果になったのかということは、重要なことだ。当然、親の行為が原因でそういう結果になったということもある。これを、親の行為が原因でそういうけっかになったわけではないことと、いっしょにするな。親の行為が原因でない場合は、たしかに、「親のせいにしている」と(誰かが誰かに対して)言える。けど、親の行為が原因であることに関しては、親ではない他人の行為が原因である場合とおなじように、親という他者の行為が原因でこういう結果になったということは、言える。なので、それをごっちゃにして、親という他者の行為が原因である場合も含めて、「親のせいにするな」というのは、悪意がある行為だ。ようするに、親というのも、他者のなかに含めていい。他者の行為に原因がある場合は、当然、他者に責任があるということだ。親という他者をなぜか特別な存在としてとらえ、親がやったことには、すべて責任がないという考え方をもっているやつらがいる。そいつらが、実際に悪い行為をする親側の人間をかばっている。まるで、ほんとうは、親という他者の責任ではないのに、(子供側の人が勝手に)親という他者の責任にしていると考えて、親のせいにしているという言葉を(そういう悪意がある人たちは)使う。これは、おかしい。