けっきょく、ほんとうに、どうしようかな?
どのみち、人は死ぬ。それはたしかだ。しかし、しかし……。しかし、しかし……。やっぱり、生まれの格差があるよ。特に、家族の格差はどうにもならない。影響をうけるに決まっている。
しかし、家族の格差「上」「中」の人が、家族の格差「下」の人の言っていることを無視して、勝手に、軽蔑してくるのだ。
どれだけのハンディになるかわからない。やつらは、わかってない。
不可避的に影響をうけるのに、『影響をうけないのは可能だ』というような前提でものを言ってくる。さらに、影響は未成年時代に限られて、未成年時代の影響は、成年時代以降に影響をあたえないというような前提でものを言ってくる。
どれだけ、「下」の人にくらべて、「中」「上」の人が、下駄をはかされているかが、わかってない。特に、「下」のなかでも「下」である、下の下の人の場合……ほんとうに、人生を破壊される。
けど、家族の格差「下の下」以上の人は、そういうことを認めない。家族の格差「下の中」の人ですら、認めない。
言っておくけど、家族の格差「下の下」は、異常者である場合の家族だ。家族の格差「下の中」以上は、正常者である家族ね。
異常者がそんなに多いはずがない。
問題なのは、異常者とのトラブルと、正常者とのトラブルの区別がついてないのだ。正常者とのトラブルしか経験してない人は、「家族とのトラブル」と言えば、当然、自分が経験した「正常者とのトラブル」になる。人の話を聞いたってわからない。
どうしても、「俺だって……」「自分だって……」「わたしだって……」と思えるトラブルが、いくつかはある。そりゃ、人間だからね。けど、正常者と異常者はちがう。完全にちがう。異常者と住んでいる人は、異常者がおかしいということがわかるけど、正常者と住んでいる人は、異常者の「特徴的な部分」というのが、根本的にわからない。
どうしても、似たようなストーリーで考えてしまう。あるいは、正常者が異常者についての話を聞いた場合の、異常者にかかわる典型的なイメージでとらえてしまう。
けど、話で聞いた異常者と、実際の異常者はちがうのだ。どのみち、異常者の「へんな部分」に関しては、いっしょに住んでいる人しかわからない。
これは、金持ちが考える貧乏人のイメージと似たようなところがある。話を聞けば、貧乏人のイメージがわくのである。その貧乏人のイメージと、実際の貧乏人の生活はちがうのである。まあ、こういうことを言っても、さらに、わからなくなるとは思うけど……。
まあ、貧乏とかおカネとか、そういう話のほうがわかりやすい。異常な家族に関しては、正常な家族と暮らしてきた人には、わからない。どう説明したってわからない。そして、実際に、異常な家族と接触し続けて、迷惑をかけられ続けたわけではないので、ほんとうの部分に関しては、イメージがわかないのである。典型的な、なにかそれ……に置き換えられてしまう。
そして、家族のことを異常者だというのは、悪いことだということになっているのである。これは、共同幻想としてそうなっている。なので、実際に異常な家族のもとに生まれてしまった人は、ずっとずっと、誤解をされるということになる。これ、誤解なんだけど、誤解だということが、「家族の格差・下の中」以上の人にはわからない。
トラブルの必然性を無視して、二項目文を語るのはよくないことだ。まるで、自分なら、トラブルを事前に避けられると思っている。まるで自分なら、トラブルの影響をうけないようにすることができると思っている。ちがう。ちがう。ちがう。ちがうんだよ。
トラブルの必然性や、改善不可能性みたいなものがあるのだ。きちがいの頭のなかにはそういうものをうみだしてしまうなにかが、はいっている。まあ、もっと正確に言うと、なにかがはいっているというよりも、頭の構造なんだけどね。
(「の」の重複については、指摘しなくてもいいです)。