2023年2月20日月曜日

生まれの格差という初期値を無視しているやつが、ニセの原因を持ち出して、人をせめる。


おカネを擬人化して扱うのはよくない。たとえば、以下のような意見があるとする。


引用開始--------
おカネが出ていくときは「また帰ってきてね」とこころなかでつぶやき、おカネが入ってきたときは、「よく帰ってきてくれたね」「いい子だいい子だ」とこころのなかでつぶやく。そういう人がおカネをたいせつにしている人だ。おカネにも心があるから、自分を大切にしてくれた持ち主のことを覚えている。おカネをめでる人のところは、おカネが集まってきて、おカネをめでない人のところには、おカネは集まってこない。おカネに感謝しない人のところにはおカネはよってこない。人間だってそうでしょ。感謝する人のところに人が集まって、感謝しない人のとことにには人が集まらない。

引用終了-------



この場合、生まれの格差を無視している。ただ単に、おカネに好かれる人と、おカネに嫌わる人という区別をしている。生まれの格差があるのに、それは、頑固に無視して、おカネに好かれる人はこうだ。おカネに好かれない人はこうだと言っている。

そして、これがまた、性格に由来することなのだ。おカネに好かれる人は、性格がいいからおカネに好かれる。おカネに好かれる人は、行いがよいから、おカネに好かれる。

反対に、おカネに嫌われる人は、性格が悪いから、おカネに嫌われる。おこないが悪いからおカネに嫌われるということになる。そうなる。生まれの格差(カネ)下の下に生まれた人の立場がない。勝手に、性格が悪い人間にされてしまう。勝手に、おこないが悪い人間にされてしまう。おカネがあるかどうか……そういうことは、かなりの部分まで、生まれで決まってしまう。そういうことを認めないで、ただ単に、性格のせいにしたり、行動のせいにしたりする。

この行動というのが、また、悪魔がつくった圧力容器のなかで、お金をかせぐための行動を意味しているのではなくて、フェチズム的に、おカネをかわいがるかどうかという行動を意味しているのである。おカネをフェチズム的に扱い、擬人化して物事を語る人は……じつは、現におカネがない人をディスっている。悪口を言っている。侮辱している。

けど、そういうことにまったく気がつかないのだ。おカネがないのは、……その人の考えで言えば……おカネをかわいがらないからなのである。かわいがらないから、おカネがない。かわいがれば、おカネが集まってくる……。こういう魔法の世界の話なんだよね。

けど、生まれの格差だけは、頑固に無視する。

影響がないと思っている。本人は、たぶん、生まれの格差・中以上の人なんだと思う。

そうじゃなきゃ、わかっている。

生まれの格差がどれだけの影響をあたえるかわかっている。

こういう精神世界の人は、ほんとうに、生まれの格差を無視している。そして、ほかのところに原因を求めて、ほかの原因について語りだす。けど、これが、嘘の原因なのだ。その人のなかでは、本当の原因なのだろうけど、「現実」的にはウソの原因だ。

これは、本当の原因を無視して、二項目文をつくりあげて、悦に浸っている人にも言えることだ。それが単なる自己満足なのならいいけど、ほんとうの原因で、苦しんでいる人を、ディスっている。悪口を言っている。

この、本当の原因を無視して、ちがった原因(原因としてはまちがった原因)を持ち出し、まちがった原因が影響をあたえているということを言って、げんにこまっている人たちを、悪く言うということが、はやっている……。

これは、実は、悪魔の容器のなかで行われる悪行だ。

こういう精神世界の人たちは、口を開けば、「悪口はいけない」と言うけれども、実際には、悪口を言っている。侮辱している。ほんとうの原因を否定され、ニセの原因を持ち出され、ニセの原因のせいでそうなっていると言われている人の気持ちを考えたことがあるか? ニセの原因だと思ってないので、そういうことを考えたことがないのだろうと思うけど。ニセの原因は、性格に由来する原因なのである。

なので、ニセの原因で、「悪い」人が、実際にみじめな思いをしているということになる。その理論のなかでは、常にそうなっている。なので、現にこまっている人をディスっている。これ、自分のほうがさきにパンチを繰り出しているのに、まったくわかってないな。

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はっきり言えば、生まれの格差・下なら、どれだけおカネが好きだって、おカネがない状態になる。おカネがない状態ですごすということになる。悪魔の容器のなかでは、初期値の格差は、時間が経過するとともに広がっていく「傾向がある」。かならず、そうなるとは言わないけど、ようするに、不利な状態で暮らしているうちに、不利なことが状態が強固になる傾向がある。初期値は単なる初期値ではなくて、悪い経験が時間とともにつみかさなっていくのである。

そして、大人になるころには、固有の条件になってしまう。初期値の格差が、そのまま続くか、あるいは、拡大する傾向があるのだか、まず、それを考えなければならないのである。(固有の条件というのは、たとえば、就職に有利な大学を出ているかとか、事業をおこせる条件があるかどうかとか、自営業をするのに有利な条件をもっているかどうかというようなことだ。

大人になったときの、ある人の固有の条件は、それまでの行動や行動の結果によって形づくられている。「なら、行動なのではないか」と思うかもしれないけど、行動が、初期値によって、限定されているのだ。つまり、親のカネとか、親の人脈とか、親のカネに対する態度によって、限定されている。

たとえば、子どもを大学に行かせやすい親なのかどうか……こういうことが、実際には影響をあたえている。大学に行かずに個人事業主として、おカネをかせぐ場合も、それまでのことが影響をあたえている。どういう家に生まれ育ったかということは、その人が、どの程度、カネをかせげるかどうかということに影響をあたえている。もう、成人する前に、差がつみかさなっている。

実は、おカネに好かれない人というように、マイルドな言い方をしているけど、ようするに、貧乏人のことだ。おカネがない人のことだ。おカネがない人は、おカネをかわいがらない「から!!」おカネがないのである。ならば、おカネがない人が、一日中、おカネをかわいがったらどうなるか? 貧乏なままだ。

どうして、これがわからないのか。このペテン。そして、性格の悪さがおカネがない状態にむすびついている……ということを暗示している悪口を言っているのに、それにまったく気がついていない。そして、まったく気がついていない態度全般。

これ、こたえるよ。そりゃ、生まれの格差・下の人が聞いたら、怒るだろう。「そんなことじゃない」と思うだろう。生まれの格差下の人であって、なおかつ、げんにおカネがない人が、おカネをかわいがっても、おカネがない状態が続く。おカネがない状態が続けば、外側から判断すると、「おカネをかわいがらない人だ」ということになる。げんにおカネがない人は、おカネに好かれない人なのだから、おカネをかわいがってないということになってしまうのだ。

そういうふうに見なして、おカネがない人の悪口を、積極的に言う。

悪魔の圧力容器のなかで、おカネがないということがどういうことなのか、まったくわかってない。悪魔の圧力容器のなかで、おカネがないうちに生まれたということの、意味あいがまったくわかっていない。

おカネがあるかどうかというのは、おカネをかわいがるかどうかで決まらない。おカネがある人というのは、おカネが入ってくるパイプをいっぱい持っている。おカネがない人は、おカネが入ってくるパイプをもってない。パイプのちがいだ。……こっちのほうが正しい。まあ、パイプというような言葉を不適切なのだけど、不適切な言葉を言いたくなるような気分になった。

おカネに関しては、ストックとフローについて語らなければならなくなる。親のストックとフローが影響をあたえないわけがないだろ。けど、それを、ただ単に「好かれる」とか「好かれない」という言葉であらわして、その人の「態度」や「性格」のせいにしてしまう。こんなのはない。

こんな、高度なディスり方があったのかと思う。考えてみれば、これ、悪口を言っている異なるんだよな。そして、悪口の方向性がずれている。おカネのない人は、無実なのに、有罪判決をうけるのだ。「性格が悪いからそうなのだ」「おこないが悪いからそうなのだ」。「こうすれば、こうなる」……実際には、どれだけそれをしても、そうならない……こういう希望的なウソ。嘘八百。希望詐欺。法則性詐欺。

おカネがないという属性をもっている人は、性格が悪い、おこないが悪いと、軽くディスられてしまう。そして、「おカネをかわいがれば、おカネがよってくる」などという、二項目文を言われるけど、不利な人がどれだけ、おカネをかわいがっても、おカネがない状態が続く。おカネがよってこない。こういう、現実。おカネがなければ、「おカネをかわいがってないから、だめなのだ」と言われる現実。

これ、「ネガティブな人」というような言いかたでもおなじだ。

生まれの格差という初期値を無視しているやつが、ニセの原因を持ち出して、人をせめる。

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おカネを擬人化して、おカネが(その人を好き)だとか、おカネがその人をきらいだとか、そういうことを広めたのは、今回引用した人じゃなくて、たぶん、斎藤一人(さいとう ひとり)だと思う。たぶん、だけど、今回引用した人は、斎藤一人(さいとう ひとり)の影響をうけていると思う。物神性に関しては、むかし、ながながと述べたので、ここでは省略。

たとえば、明治のころ、金のような価値がありそうなものではなくて、紙のような粗末なもの?をたいせつに扱うようになるかどうかということについて議論があったのだけど、紙のようなものでも、たいせつに扱うようになったね。これ、権威と物神性の問題なんですよ。

まあ、今回引用されてしまった人は、引用されてしまったわけだけど、「攻撃を受けることはあるけど、無視している」ということなので、傷つかずに無視してくれるとものと思う。

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精神世界の人のなかには、斎藤一人(さいとう ひとり)が好きな人ってわりといるんですよ。

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おカネを擬人化してごにょごにょ言うと、現におカネがない人や人生の初期値で下の人が、傷つくんですよ。おカネを擬人化してごにょごにょ言っている人は、まったく気がついてないけど……。「単に嫉妬しているだけだろ」と思うと思うのだけど……。この認識の差は、どうしょうーーもないなぁ。

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いま、ほんとうにこまっている人は、精神世界の人やアドラー主義者や認知療法の理論が好きな人から、攻撃をうけるんですよ。攻撃をうけるようになっている。精神世界の人、アドラー主義者、認知療法の理論が好きな人……それぞれ、攻撃をしているつもりはない。まったくない。なんで、(ほんとうにこまっている人)が(自分に)反感をもつのかまったくわかってない。彼らは、(ほんとうにこまっている人)のことを、ほんとうにこまっている人だとは認識してないので、一部の人が反感をもつようだと認識していると思う。反感をもっている人たちは、ほんとうにこまっている人たちなんですよ。ほんとうにこまっている人の気持ちを、さかなで、しているの人は、精神世界の人やアドラー主義者や認知療法の理論が好きな人。

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こまってない人が、こまっている人にニセの情報をあたえるということがはやっている。ライフハック的な二項目文がはやっている。けど、そのライフハック的な二項目文を、実行してもまったくよくならない。まったく、まったくよくならない。むしろ、悪くなる。完全に悪くなる。希望をあたえられ、希望をへし折られる。まさに、そういうことになる。

めぐまれた人が、めぐまれない人にニセの情報をあたえるということがはやっている。はやっている。はやっている。絶望した。絶望した。はやっている。はやっている。

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毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。