ほかの人には、ヘビメタ騒音の五〇〇〇日がないわけだから、五〇〇〇日中の、からだの状態もわからないし、五〇〇〇日以降の、からだの状態も、わからない。それは、親友でもおなじだ。わからない。わからない。実際に経験したわけじゃないから、わからない。一倍速で、毎日経験してみろ。わかるから。
「そんなものじゃない」とぼくがどれだ言っても、経験がない人にはわからない。だから、影響がない」という前提でものを言う。けど、「影響がある」。今現在もある。勝手に、そっちが、無視しても、あるんだよ。それは、俺のからだを使ってないとわからないことかもしれないけど、あるんだよ。俺にはあるんだよ。
わかってないだけなのに、くそえらそうに……。わかってないだけなのに、説教か?
実際に、自分の嫌いな音を、あの時間の長さ、あの期間の長さ、聞かされ続けたら、働けなくなる。えらそうなことを言っているやつだって、働けなくなる。働けなくなったら、説教をされる立場になる。きみらが見ているのは、ヘビメタ騒音の結果だ。家族による、きちがい的な騒音の結果だ。自分だって、おなじ状態で十一歳から二十一歳まで暮らせば、おなじ状態になるのに、実際に経験してないから、おなじ状態になるということがわからない。想像もできない。『影響なんてない』と考えてしまう。『俺だったら、しずかにさせることができる』と考えてしまう。けど、実際に、きちがい的な頭のもちぬしに鳴らされると、そういうことが成り立たなくなってしまう。それは、実際に経験してない人が、語る、きれいごとだ。
これ、ほんとう、家族だということが問題なんだよ。そして、やぬしである父親が、ヘビメタを鳴らしているきちがい兄貴とおなじ頭の構造をもっているということが問題なんだよ。実際に、父のほうがさきで兄のほうがあとだから、父が兄とおなじ頭の構造をもっているという表現よりも、兄が父とおなじ頭の構造をもっているという表現のほうが、わずかに、適切だ。けど、「おなじずれ」がある。そして、その「ずれ」の部分が、他人にはわからないのである。特殊な「頭の構造」をもつ家族にやられたら、他人には理解されない。他人の家族は特殊な「頭の構造」をもつ家族ではないから。これがまた、経験した範囲でしかわからないんだよな。
そうすると、「エイリさんがちゃんと言わないからダメなんだ」「エイリさんの説得力がないからダメなんだ」ということになってしまう。特殊な家族が、特殊な頭の構造をもっているということがわかってない。『特殊な頭の構造』のすごさがわかってない。『俺の説得力』の問題じゃなくて、『兄貴の頭』の問題なの。『俺の説得力』の問題じゃなくて、『親父の頭』の問題なの。なんで、これを、『他者』は認めないのか。なんか、認めると、まずいことでもあるのか?
「そんなの、家族で話し合えばいい」「もう一度、言ってみればいい」「ちゃんと言えば、わかってくれる」……全部、まとはずれな助言。「家族の問題には、かかわりたくない」という気持がある。家族、家族、家族。家族が問題なんじゃないか。それを、家族という変数については、まったく考えないで、ただ個人の努力と性格を問題にする。生まれの格差(家族)下でも、生まれの格差(家族)上でも、おなじだと考えているのだ。ぜんぜん、ちがう。頭の構造から出てくるものは、どれだけ言ってもかわらない。注意してもかわらない。どれだ言っても、これっぽっちも……つたわらない。自分が認識できることしか認識しない。認識できない。認識できないことは、やったってやってないことなのである。