まあ、ぼくは「そとで」働かなくていい状態なので、それは、たすかっている。たすかっている。自分でも、「こうできる」と思ってなかったのだけど、「そとで」働かずに生きていくことが可能になってしまった。それは、ほんとうに、たすかっている。
体力状態が、よくないのだ。長期ヘビメタ騒音のときに、からだをくずして、それ以降、よくない。なにをするときも、長期ヘビメタ騒音以前の状態ではないのだ。これは、どれだけ言っても、わからないと思う。他人にはわからないよね。わかるわけがない。
立っているときも、歩いているときも、座っているときも、かなり、くるしい。ヘビメタ騒音のだるさって、言いようがないんだよな。とくに、睡眠系統がこわれたときのくるしさが並じゃない。睡眠がじゅうぶんでも、いろいろと、つらいのに、睡眠がじゅうぶんではないときは、相当にくるしい。ヘビメタ騒音が鳴っているときのつらさというのは、睡眠がじゅうぶんでないときのつらさなんだよ。比喩的に言うと……。これ、だれにもわからないと思うけど。そして、「つらい」とか「だるい」と表現したけど、「憂鬱」と言えるんだよな。やはり、からだとこころはくっついている。別々に存在しているわけじゃない。こころの状態は、脳みその状態だと言い換えると、脳みそはからだの一部なのだから、「からだとこころは、くっついている」というのは、正しいということになる。
憂鬱というのは、「もう死ぬしかない」というようなせっぱつまった気分だ。ヘビメタ騒音でほんとうに、「せっぱつまった」状態で暮らしていた。常にそうだった。ヘビメタ騒音に、家でさらされると、学校に行くときも、だれかにあいに行くときも、「くるしい」状態なのである。憂鬱な状態なので。せっぱつまった状態なのである。騒音が鳴り終われば、騒音の影響を感じないような状態ではない。これ、ちがうんだよな。けど、このちがいも、実際に、ヘビメタ騒音生活を、俺と一緒にした人しかわからない。「ヘビメタ騒音生活を、俺と一緒にした人」なんて、この世にいないので、俺にしかわからない。
ともかく、騒音が鳴り終われば、騒音の影響をうけなくてもいいような騒音しか体験したことがない人にはわからない。そういう人たちが「騒音なんて、鳴り終わったら関係がない」と言うのを聞くと、ぼくはゆるせない気持ちになる。「鳴り終わったら、影響を感じないような騒音しか経験してないから、そういうふうに言えるだけだ。実際、その人たちにとってみれば、騒音というのはそういう騒音なのである。騒音が鳴っている生活というのはそういう生活なのである。ぼくにしても、横が幼稚園だから、普通の人よりは騒音にさらされる生活をしていたのだけど、それは、ヘビメタ騒音生活の騒音とはまったくちがう騒音なのである。ようするに、「鳴り終わったら、関係がなくなる」騒音だ。そういう騒音と、ヘビメタ騒音はちがう。きちがい兄貴が、執着して執着して執着して執着して執着して執着して鳴らし続け、ヘビメタ騒音はちがう。俺が「ヘビメタ騒音」「ヘビメタ騒音」「ヘビメタ騒音」「ヘビメタ騒音」と、しつこいみたいだけど、きちがい兄貴が、しつこく鳴らした。執着して鳴らした。普通なら、一年間ぐらいであきるのだ。いくら、でかい音で鳴らしたい……大きな音でおもいっきり鳴らしたい……好きなだけ、ずっと鳴らしたい……と思って鳴らしていたとしても、あきる。ところが、きちがい兄貴の場合、あきなかった。こっちがリターン可能な時期(時点)をすぎて鳴らしていた。
これ、ほんとうに、ちがうのである。そりゃ、ぼくだって、幼稚園が目の前にあるのだから、普通の騒音のことは知っている。騒音生活を知っている。けど、そうじゃないのだ。ヘビメタ騒音のことを知らない人が……つまり、自分の体験を通して知らない人が……かってに、幼稚園程度の生活騒音だと思っているのだ。そして、幼稚園程度の生活騒音とヘビメタ騒音を区別せずに、俺に、助言をする。あるいは、説教をする。しかし、それは、まちがっている。まちがっているのだ。しかし、俺がどれだけ「(あなたが言っていることは)まちがっている」ということを説明しても、相手は、うけいれない。自分が正しいと思っている。それは、繰り返しになるけど、きちがい家族による、きちがいヘビメタ騒音が人生のなかで発生しなかったからだ。だから、まちがう。しかし、まちがったところで、その人は、まったくなにも影響をうけない。俺に対して、誤解をした……だけだ。自分が言っていることが正しいと思っている。佐藤(仮名)……のように。
日本人は、日本労働教徒なので、目の前に「働いてない人」がいると、説教をしはじめる。なんとか、説教をして、働かせないと落ち着かない気分になる。そういう人たちは、ヘビメタ騒音のことを無視する。俺がどれだけ説明しても、ヘビメタ騒音の影響を無視する。なので、ぼくにとっては、非常に生きにくい状態になる。
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「そとで」働こうとすると、すぐに、「死ぬしかない」という状態になる。立っているときも、歩いているときも、座っているときも、かなり、くるしい。ヘビメタ騒音でくるしい。長期ヘビメタ騒音の影響でくるしい。けど、それは、だれにもわからないことだ。ぼく以外のだれにもわからないことだ。なんと生きにくい世界か?