社会的な引きこもりの、大きな割合をしめる層というのは、中高年だ。働いた経験がある中年や高齢者が、社会的な引きこもりの、大きな割合をしめる層なのである。
むしろ、働いた経験がない若者は、小さな割合をしめる層だ。
ようするに、社会経験がない若者が、引きこもっているようなイメージがあるけど、それは、イメージで、実際には社会経験がある中年や高齢者が「引きこもっている」。この人たちは、社会でボロボロになった人たちだ。人間関係でボロボロになったので、積極的に、人間関係をもとうとしないのである。
なので、機能的な会話以外の会話を、ほかの人としないということになる。
なので、社会的な関係性が切れてしまっているのである。
この社会的な関係性が切れてしまっているということが、重要なのだ。社会的な関係性が切れてしまっている人のことを「社会的な引きこもり」と言っているのだ。
会社をやめた独身男性であって、なおかつ、交流している親密な他者がいない人は、どれだけ、毎日、散歩をしても、社会的な引きこもりに分類される存在になっている。二週間以上、親密な他者?と会話をしてない人は、お店で機能的な会話をしても、社会的な引きこもりなのである。
機能的な会話以外の会話というのは、どういう会話かというと、会話自体が目的であるような会話なのである。つまり、交流自体が目的であるような交流をもっているかどうかが重要なのである。交流と言ったけど、ようするに、「つきあい」だ。
「親密な他者」と言っても、そんなに「親密」である必要はない。これ、言葉のイメージが問題なんだよな。ここでは、普通につきあいがある他者のことを、親密な他者と定義しておく。
「社会的な引きこもりの、ボリュームゾーンというのは、中高年だ」というようにボリュームゾーンという言葉を使いたかったのだけど、ボリュームゾーンというのは、商品に使われる言葉ではないかという指摘があるので、「大きな割合をしめる層」という言葉に置き換えておいた。けど、ボリュームゾーンという言葉は、人間の集団にも使われているので、ボリュームゾーンでいいかという感じはする。