まあ、正直言って、ぼくも、カネは増えているよ。増えている。けど、長期ヘビメタ騒音の問題が片づかない。長期ヘビメタ騒音から派生した問題も片づかない。片づかないんだよ。
布団のなかに入っても、頭の中でもめている。
長期ヘビメタ騒音から派生した問題について、ほかの人ともめたことを、思い出している。会話が繰り返される。
たとえば、「人間は働くべきだ」というような発言について、ぼくが、いろいろと言いかえしているのだ。「こいつら、わかってない」「ヘビメタ騒音のことがまったくわかってない」……。ほんとうに、他人がヘビメタ騒音のことを理解するのはむりだなと思う。
他人は、ヘビメタ騒音を経験したことがないから<<
。
きちがい家族による長期ヘビメタ騒音を経験したことがないから。
一日目の、ヘビメタ騒音と、五〇〇〇日目のヘビメタ騒音は、ちがう。たとえば、一日のなかで鳴っている時間が同じだとしても、一日目のヘビメタ騒音と、五〇〇〇日目のヘビメタ騒音はちがうんだよ。みんな、一日ですむ騒音の影響しか考えてない。みんな、一日ですむ騒音の影響……ぐらいの影響……しか……うけないと思っている。
みんな、『一日目のヘビメタ騒音ぐらいの影響なんだろ』と思っている。思っている。ぜーーんぜん、ぜーーーんぜん、ちがうのに、その人たちの、想像の範囲だと、そういうものとして想像してしまうのだ。
ちがいは、五〇〇〇日、ずっと、経験しないとわからない。だから、わからない。わからないものは、リアルに想像できない。
だから、わからない。
『影響の量』がちがうのである。みんな、『影響の量』について、『考えちがい』をしている。『考えちがい』をしているということにすら気がつかない。ぼくがどれだけ説明しても、そいつらのなかの『ヘビメタ騒音』というものが、かわらない。そいつらのなかの『ヘビメタ騒音の影響』というものがかわらない。
そいつらにとってみれば、ヘビメタ騒音の影響は、ちいさいものなのである。ぜんぜんちがう。ぜんぜんちがう。「鳴り終わったら関係がない」……「鳴り終わってからが、本番だ」「鳴り終わってからの、えいょきうがものすごいのである」。まるでわかってない。
わかってないということすらわかってない。
そうなるとどうなるかというと、「ヘビメタ騒音なんてどれだけ鳴ってたって関係がないから、働くべきだ」ということになってしまう。どれだけ俺が「ヘビメタ騒音の影響で働けなくなった」と言っても、そいつらは、『ヘビメタ騒音の影響』を認めないのだから、『働ない』ということも認めない。
ぼくがどれだけ「ヘビメタ騒音の影響で働けなくなった」と言っても、そいつらのなかでは「エイリさんは、働けるのに働こうとしない」という考え方が消えないのである。
ヘビメタ騒音の影響を無視してやがる。
「鳴り終わったら関係がない」「鳴り終わったら影響がなくなる」というまちがった考え方にもとづいて、まちがったことを言っている。
けど、「まちがっている」ということを、そいつらが認めるかというと認めない。
だから、そこに、大きな溝ができる。
もちろん、きちがい兄貴は、ぼくと他人との間に、そういう溝をつくってやろうと思って毎日、きちがい的な意地で、エレキギターを弾いていたわけじゃない。もちろん、きちがい兄貴は、ぼくと他人との間に、そういう溝をつくってやろうと思って毎日、でかい音で、一切合切ゆずらずに、ステレオを鳴らしていたわけではない。
けど、そうなっている。親友とのあいだに起こったことだって、きちがい兄貴が毎日毎日、こだわってこだわって、きちがいヘビメタを一秒もゆずらずに鳴らしたから発生したことだ。きちがい兄貴が、毎日毎日、こだわってこだわって、きちがいヘビメタを一秒もゆずらずに鳴らさなかったら、そんなことになってない。
これ、ほかの人には起こりえないことなのだ。ほか人の人生のなかで発生しないことなのだ。それは、『きちがい兄貴』という要素がないからだ。この、きちがい兄貴という要素が、ほかの人には、逆立ちしたってわからない。
きちがい兄貴が、どういうふうにくるっているかわかってない。きちがい兄貴が、どういう感覚で、きちがいヘビメタを鳴らしているかわかってない。きちがい兄貴が、どういう感覚で、きちがいヘビメタを鳴らしてないと思っているかわかってない。
まあ、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音に対する態度は、きちがい親父のハンダゴテに対する態度やネズミ対策に対する態度とおなじなんだよ。まったくおなじ。
けど、これが、ほかの人にはまったくわからないのである。
ほんとうに、きちがい兄貴の態度やきちがい親父の態度は「やったってやってない」が現在進行形で成り立っている態度だ。そして、やりきったあとも、きちがい兄貴やきちがい親父は、やったということを、まったく認めないのである。
で、『それを、意識してやっているのではない』というところが、問題なのだ。意識してそういう態度でやっている場合は、本人は知っている。普通ならそういうタイプだ。ところが、ちがうのである。だから、ほかの人にはわからない。
手短に言うと、きちがい兄貴やきちがい親父の場合は、本人にもわからない。この本人がわかってないという部分が、異常なのだ。精神異常。記憶障害。自分にとって都合がいいようにくるっている性格。