常識的なことを言ってくるやつらは、みんな、「ヘビメタ騒音の影響」を無視している。「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「ヘビメタ騒音が鳴っていたとしても、過去のことなら関係がない」という前提で、ものを言ってくる。
こいつらは、みんな、ぼくとおなじようにヘビメタ騒音を経験したわけではない。「きちがいかぞくによる」ヘビメタ騒音を経験したわけじゃない。きちがい家族が、息を吸うように、ヘビメタを、「つねに」鳴らすということがどういうことなのかわかってない。
それが、たとえ、一日のなかで、午後四時から午後一一時一〇分までのことであったとしても、学校から帰ってきたあと、あの音のでかさで、あの音を、あの至近距離で鳴らされた場合、からだにどういう変化がしょうじるか、まったくわかってないのである。
この、わからなさ、と言ったらないよな。自分の短い騒音経験で、「たいしたことがない」と勝手に決めつける。けど、俺とおなじ期間の長さ、俺とおなじ時間の長さ、あのきちがい兄貴によるきちがいヘビメタ騒音を経験したわけではないのだ。きちがい兄貴の態度がどれだけむかつく態度かわかってない。
それは、やはり、影響をあたえる。そして、きちがい兄貴の態度がきちがい親父の態度とおなじなので、俺に迷惑をかけているということが、わからないのである。きちがい兄貴がわからない。こっちがどれだけ説明しても、きちがいの頭で解釈するから、まったく、なにもやってないのとおなじ態度で、ずっと生活をしているのだ。
そして、きちがい兄貴が学校から帰ってきた、かならず、風呂に入るまで、きちがいヘビメタを、自分が満足できる音で鳴らした。風呂から出てきたら、かならず、自分が満足できる音で、一一時一〇分まで鳴らした。
で、これが、こっちがどれだけこまっても、まったくゆずってくれないのである。けど、これがまた、きちがい親父とおなじで「ゆずってやった」と思っているところがある。気ちがいなんだよ。すべてが、きちがい的な反応。すべてを、きちがい回路で解釈している。
ともかく、俺にえらそうなことを言ったやつが、病気になって入院したら、連絡をくれ。そうしたら、その病気のことは、頑固に無視して、「働くということの大切さについて」語ってやるから。
俺は、そいつが、働くことの意味がわかってないから、働かないんだ」解釈するのである。だから、そいつが働くことの意味を理解してくれるように働きかけるのである。……悪いことじゃないだろ。そいつらがやってきたことだ。
そいつらが、「まるまるという病気で働けない」と言えば「○○という病気の影響」は頑固に無視して、「そんなのは関係がない」「そんなのは、あまえだ」「○○という病気にかかっている人だって、みんな働いている」と言ってやる。「もう、歳をとってむかしのようには動けないから、働けない」と言ったら「歳をとった」ということの影響は頑固に無視して「そんなのは、関係がない」「歳をとったって働いている人はいる。みんな苦労をして働いている」「だから、おまえが働けないということはない」「歳をとったから、働けないなんていうのは、あまえだ」「おまえは、働くということの意味がわかってないからそうやって、加齢を理由にして、さぼっているだけだ」と言ってやる。
「人間は働くべきだ」「これを理解してくれれば、おまえも働くようになるのだから、理解するように働きかけることはとてもいいことだ」と言ってやる。「みんな、歳をとっても病気になっても、がんばって働いている」「おまえだけ、働けないなんてことはない」「そんなのは、あまえだ」と言ってやる。
なので、死ぬまえに、かならず、連絡をください。
「人間は働くべきだ」と考えているなら、当然、歳をとっても働いているはずですよね。歳をとると人間は人間でなくなるということはないのですから。働くのをやめるときは、人間をやめるときだと思って、働いているはずですよね。
まさか、人間らしく暮らすために、働くのやめるなんて選択はしてませんよね。人にあんなことを言って、ただですむと思うな。「人間は働くべきだから、○○さんも働くべきだ」……まちがってませんよね。どうして、病気や老化を理由にして、働かないんですか? おかしいとは思いませんか? どれだけくるしくても、音をあげずに、働くべきでしょう。それは、あなたが言ったことなんだぞ。人には、頭がおかしいことを言って、自分は、その発言とはちがう暮らしをしているのか? おかしいだろ。