今日の朝、つまり、今朝、ゴミを出したんだけど、あのときの気分を考えると「ぼくはやはり、幸福になれそうもない」と感じる。きちがい兄貴にやられた朝の気分とおなじなんだよな。佐藤は、障碍者の人権についてだいぶうるさいことをやっているけど、ヘビメタをあの音のでかさで鳴らすということが、どれだけの人権侵害なのか、まるでわかってないところがある。あれは、ものすごい、人権侵害だ。あの音がどれだけひどい音かまったくわかってないなぁ。きちがいだから鳴らせる音なんだよ。普通の人だったら、鳴らせない音なんだよ。きちがいだから、でかい音を普通の音だと感じることができるんだよ。耳が悪くなければ、『でかい音』だと感じなければならない音なんだよ。ほかの種類の音が、あのでかさで、1分間なっていたら、きちがい兄貴だって、一分間腹がたって腹が立ってしかたがないような音のでかさなんだよ。あの音で、鳴らすこと自体が、人権侵害なんだよ。どうして、「小さな人権侵害」には敏感なのに、「大きな人権侵害」には鈍感なんだよ。障害者なら、どんな小さな人権侵害に関しても、人権侵害だと騒ぐくせに、「ほかのうち」の家族がやっていることだと、人権侵害なんて、そもそも関係がない話になってしまう。そういう感覚が成り立っている。ほかの家で、「兄」が「弟」にやったことだと、人権侵害という考え方自体が、佐藤の頭で成り立ってないんだよね。ばかだなぁー。そういう感覚は、ほんとうは、おかしい。けど、騒音に関することであって、なおかつ、「よその家のこと」だと、人権侵害というような考え方が思い浮かばないレベルまで、人権侵害が関係のない話になってしまう。ほんとうはものすごいことなのに、まるでわかってないな。佐藤(仮名)なんて一〇分間、あのきちがいヘビメタ騒音のなかにいたら、くるっちゃうよ。一か月間で、不登校になる。社会人なら出社拒否になる。そういう騒音なんだよ。まるでわかってないけど。こういうやつらの「まるでわかってない」態度は、むかつくなぁ。「やめてくれ」「やめてくれ」と家族が言っているのに、息をすったり吐いたりするように、普通に「いつもいつも」鳴らしてしまう感覚というのはないよ。まったくなにも気にしてない。俺にとって、きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、重要な問題なのに、きちがい兄貴も、佐藤(仮名)も、重要な問題だということを完全に無視しやがる。佐藤(仮名)が鳴らしたわけではない。そして、佐藤が気にしない仕組みと、きちがい兄貴が気にしない仕組みは、まったくちがう。けど、気にしないということでは、相似だ。気にしないというベクトルの方向はおなじだ。ただ、佐藤のスカラーが一(いち)だとすると、きちがい兄貴のスカラーは一兆(いっちょう)だ。スカラーと書いたけど、ベクトルの大きさのことだとする。
おまえら、あれがどういう音なのか、まったくわかってないなぁ。
あと、アドラーみたいなとっちゃん坊やが、「どれだけ人(他人)がガミガミ言っても気にしない人」のほうが、気にする人よりすぐれているというような意見を書いているけど、ちがうね。人(他人)がガミガミ言ってきたということをちゃんと考えられる人間が、すぐれた人間だ。「気にすれば、すぐれていない人間だ」「気にしなければ、すぐれた人間だ」と、考えること自体がおかしい。人が言うことを気にする能力は大切な能力。相手が言うことを聞いて、自分の行動をあらためるのは、たいせつなこと。なんで、相手が言うことを聞いても、絶対に自分の行動をあらためないことが、すぐれた能力なんだ? 善悪の基準というのがあるんだよ。悪人が、悪いことをして、悪いことをしたということをまったく気にしなかったら、悪人のまわりの人がこまるだろ。人が言うことを気にしない人間がすぐれた人間だというような価値観はおかしい。
人が言ってくることを気にすることは、たいせつな能力だ。ふざけんな。
どれだけこまるか、まったくわかってないなぁ。きちがい兄貴もよその人も。やられてない人も、きちがい兄貴も、まるでわかってないんだよなぁ。
影響があるに決まっているだろ。なんで『影響なんてない』と考えるんだ。影響があるに決まっているだろ。 なんで『関係がない』と決めつけるんだ。関係なくない。そのときの状態どころか、次の日の状態にまで一〇〇%の影響がある。なんで、『影響なんてない』『関係がない』と決めつけるんだ? おまえらはみんな、でこパッチンB。