2022年12月31日土曜日

家族だということが、どれだけ、足をひっぱるか、ほかの人はぜんぜんわかってない。

 ほかの人は『きちがい的な家族』の『きちがい的な意地』がわからない。ほかの人は『きちがい的な家族』の『きちがい的な感覚』がわからない。どうしてかというと、きちがい的な家族がいないからだ。家族のなかにきちがい的な構造をもった人がいない。それはその人にとっては、いいことだ。家族のなかにきちがい的な構造をもった人がいるということがわからない。家族のなかにきちがい的な構造をもった人がいると、どういうことにかなるのか、自分の経験をとおして、理解してない。家族のなかにきちがい的な構造をもった人がいるということが、どういうことをうみだすのか、自分の経験をとおして、わかってない。家族として毎日一緒に生活をしているということは、ほかのこととはちがうことなのである。たとえば、アドラーは、「(相手がどれだけ)ガミガミ言ってきたって、気にしないことはできる」というようなことを言う。けど、その「がみがみ言ってくる相手」との関係がわからない。いっしょに住んでいるのかどうか? そのガミガミ言ってくる相手は、親なのかどうか? 親という属性を持ってしまうと、ただ単に「一緒に住んでいる」ということとはちがった現象がしょうじる。それは、まわりの人間が、「親」だとみなすし、「親」だということが、事実だから、「他人」である場合とはちがった現象がしょうじる。ようするに、「親である」ということが公認さされば、たとえば、「ガミガミ怒る」ということに関しても、公認されてしまう部分がある。いっしょに住んでいるのかどうか、家族なのかどうかというのは、人間の行動に影響をあたえる。他人と他人のあいだに生じることに「関する」ルールと、親と子供のあいだに生じることに「関する」ルールがちがうのである。そして、その違いが、共同幻想によって「承認」されているのである。共同幻想によって「承認」されているということは、じつは、個々の親子関係にも影響をあたえる。他者が、その者たちを親子だとみなせば、他者がその者たちを親子だとみなさない場合とは、ちがった反応をするのである。ちがった反応には、「根拠があり」その根拠が、言ってみれば、共同幻想なのである。そして、親と住んでいる期間が、20年間なり18年間だとして、未成年期における親の影響というのは、でかい。なので、青年期になったとたんに、未成年期の影響が全部なくなるというわけではないのである。ところが、アドラーのような単純な人は、「過去は関係がない」「トラウマはない」と考えてしまう。未成年期の出来事は、成年期の状態に影響をあたえないという考えにとらわれているのである。そして、この考えは、まちがっている。未成年期の出来事は、成年期の状態に影響をあたえる。「過去は関係がない」と言いたいばかりに、未成年期の出来事を無効化しようとする試みは、まちがっている。

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ヘビメタ騒音『で』寝不足になるということが、どういうことだか、わかってないんだよなぁ。凡人佐藤のような常識人は、まるでわかってない。そりゃ、凡人佐藤のような常識人には、きちがい家族によるヘビメタ騒音という経験がない。きちがいがどういう感覚で鳴らすかわかってないな。きちがい的な意地で鳴らすけど、きちがい的な意地で鳴らしたということは記憶にないという態度なんだよ。だから、こまる。自分で徹夜をしたくて、徹夜をした経験はあるけど、きちがい家族によるきちがい的な騒音で、しかたがなく、眠れなくなったという経験がない。それなら、なんとだって言える。ところが、そういうちがいについて、こいつらは考えない。こっちが言っても無視する。そういう部分では、きちがい兄貴に多少、似ている。あくまで、たしょうだけどね。どっちも、「ヘビメタ騒音の影響」は無視するわけだから、その点だけをとれば、すこしは、似ている。こっちの「事情」を無視する人に対する嫌悪感はあって当然だ。あるいは、憎しみと言ってもいいかもしれない。そりゃ、そうだろ。きちがいヘビメタ騒音『で』できなくなったと言っているのに、きちがいヘビメタ騒音の影響を無視するのだから、憎しみがしょうじる。それは、きちがいがい兄貴の行為にしょうじた憎しみや、きちがい兄貴そのものに対する憎しみの、『一部分』だ。きちがい兄貴が鳴らしたわけで、その人たちが鳴らしたわけではない。だから、ぜんぜんちがう。きちがい兄貴が無視して鳴らした。これは、重要なことだ。その人たちは鳴らしていない。これは、重要なことだ。しかし、気ちがい兄貴に対する怒りが、その人たちに対しても、むけられる。部分的なことだけど、これははしかたがない。怒りがたまっている状態なのだから、そうなる。怒りがたまっている状態で、ヘビメタ騒音の影響を無視する人たちと話せば、怒りの矛先が、その人たちに向かうということは、無理からぬことだ。無視という点では一致している。これは、怒りの集まる「ポイント」になる。焦点になる。

ヘビメタ騒音の影響……を無視して、『わかったようなことを言ってくる相手』の態度に我慢をしながら話をしなければならないということになる。怒りをがまんして話してやっている……んだぞ。わかっているの? そこ~~?? ユーは、そこ、わかっている??

けど、まあ、こういうことで、「おこれば」……エイリさんは未熟だから怒っているんだ……ということになってしまうのである。そうじゃない。ヘビメタ騒音の経験が長いからそうなる。きちがい兄貴の態度が、普通の人がわかるような態度じゃないからそうなる。そりゃ、何年間も、十数年間も、毎日やられて、勉強ができず、生きるのを邪魔されているのに、怒りがしょうじないわけがないだろ。たとえばの話だけど……これで、俺が「無職」であれば「無職で社会経験がないから(そんなことで怒っている)」と思ってしまうのである。きちがい家族と一緒にすんだことがない常識的な人はそういうふうに解釈してしまう脳である。たとえばの話だけど……これで、俺が「ひきこもり」であれば「ひきこもりで社会経験がないから、そんなことで不愉快な顔をしている」ということになってしまうのである。きちがい兄貴が「常識」を無視して、きちがい的な音を鳴らすということに、きちがい的にこだわりつくすと、連鎖が連鎖をよび、そういうことになってしまうのである。それなら、生きにくくなって当然だが、これまた、きれいごとですまされてしまうのである。「生きにくさ」に関しても、教授の言っていることのほうが正しいと、凡人佐藤は判断してしまうのである。どれだけ、アホなんだよ。「生きにくさ」に関して、俺が教授から学ぶことはない。その教授とやらは、俺よりもずっと生きやすい状態で暮らしている。それは、そのときだけではなくて、生まれてからずっとそうだ。俺のほうが「生きにくさ」において「専門家」なのである。ところが、佐藤のような凡人は、「生きにくさ」に関しても、心理学の教授のほうが正しいことを言うと思っているのだ。こういう、アホ。アホすぎる。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。