きちがい兄貴が普通の兄貴で、でかい音をでかい音だと感じることができる人だったら、こんなことになってないのである。ぼくの人生はまったくちがっていたのである。きちがい兄貴は、ヘビメタを鳴らしているということを気にしてなかった。でかい音で鳴らしているということを、まったく気にしてなかった。こだわってなかったつもりでいるのである。こだわってないなら、鳴らさなくても平気だ。どれだけゆずっても平気だ。一日二十四時間中、一日二十四時間ゆずったって、まったく気にしないはずだ。けど、一秒だって、俺の言うとおりに鳴らすのは、いやだったのである。普通の音……人が話す声ぐらいの音で聞けばいいのに、絶対に、人がどれだけでかい声を張り上げても出せないようなでかい音で鳴らさなければ、気がすまなかったのである。一秒だって、ゆずりたくなかったのである。ゆずりたくないので、それを、通した。また、きちがい兄貴ではなくて、普通の人は……この問題人関係がない普通の人は、きちがいヘビメタ騒音のことなんて知らないし、気にしない。だから、そういう意味で、僕の身にきちがいヘビメタ騒音が降りかかっていたとしても、そんなのは、関係がないことなのである。普通の人は、俺の身の上にふりそそいだ、きちがい兄貴によるきちがいヘビメタ騒音のことなんて、まったく関係がないから、まったく気にしないのである。聞いたって、そんなのは気にしないのである。けど、きちがい兄貴が一分間、きちがい兄貴が満足できるでかい音でヘビメタを鳴らすと、ぼくが気にしないように、どれだけがんばっても、ものすごい影響をあたえる音だったのである。きちがい兄貴も、気にしない。普通の人も……気にしない。俺は気にする。だから、俺が気にしているというとが、悪いことになってしまうのである。普通の人だって、きちがい兄貴がいて、そのきちがい兄貴が、きちがい兄貴の満足できる音でずっとヘビメタを鳴らすと、気になるはずなのである。一〇時間鳴らされれば、一〇時間鳴らされた影響をうけるのである。不可避的に、一〇時間分の影響をうける。それは、鳴り終わった一〇時間と一秒目だってかわらないのである。一秒たてば、どれだけうるさい音で一〇時間鳴らされていても、影響がないのである。どうしてなら、そんなのは、過去のことだからだ。過去のことには影響をうける必要がないので、影響をうけないのである。あるいは、影響をうけるような気がしていたとしても、『影響をうけないぞ』という強い意志をもてば、影響をうけないからだですごすことができるのである。そいつの想像のなかでは、一〇時間鳴らされたあとに……あのきちがの音に一〇時間さらされたあと……一秒でもたてば、影響がなくなるから、「眠れない」などということはないのである。眠れないのは、自己責任。そんなのは、気にするやつがいけない」「気にするからダメなんだ」「影響をうけないという強い意志をもでは影響をうけないで眠ることができる」……こういう、無慈悲な、想像をする。こういう想像ができるのは、そいつが、きちがいヘビメタを一〇時間浴びてないからなのである。別に、そいつが、強い意志をもっていたから、俺とおなじように俺の部屋にいて、きちがいヘビメタ騒音を浴びせられたけど、気にしないで眠ることができたというわけではないのである。けど、実際にそういうことが人生中で発生しなかったので、そいつは、そういう前提で、ものを言う。
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