どーーしても、ヘビメタでくるしい。
どーしても、ヘビメタでくるしい。
いま、午後6時48分。午後6時48分は、毎日、鳴ってた。ギャーって鳴ってた。ほんとうに、ものすごい音なんだよ。あんな音のなかで、正常な気分を維持できるわけがない。正常な頭の働きを維持できるはずがない。あの音のなかで、勉強なんてできない。これも、ほんとうに、ぼくの部屋にいればわかることなのに、わかってない人たちが「どれだけ、騒音が鳴っていても、勉強ぐらいできる」と言って、「勉強ができない」ということを認めない。発狂的な状態なんだよ。きちがい兄貴の態度に腹がたっているわけ。ものすごい音で鳴っている。これ、ほんとうに、いればわかるのに……。どんだけ鈍感な佐藤でも、ぼくの部屋で暮らしてみればわかることなんだよ。どれだけ、次の日にこたえるか。次の日の勉強にこたえるか……絶対にわかる。毎日だからね。毎日ということの意味がまったくわかってない人たちばかりなんだよな。「な・っ・て・た」という言葉ですんでしまう。「な・っ・て・た・ん・だ・ね」……これでおしまいだ。きちがい兄貴の態度で、きちがいヘビメタを聞かされる状態は経験してない。俺の部屋で1秒も、きちがい兄貴のヘビメタを聞いてない。聞かされてない。あの態度で鳴らしているやつがいるということが、どういうことなのかわかってない。家族があの態度で鳴らしている……呼吸をするように鳴らしている……いつもいつも、鳴らしているということが、わからない。こいつらは、実際、人生のなかで〇秒しか、俺の部屋にいたことがなく、〇秒しか、きちがい兄貴のヘビメタを聞かされてない。人生のなかで、数万時間ヘビメタを聞かされたというわけではない。どれだけ、長いか? どれだけ蓄積するか? ぜんぜんわかってない。これ、三〇〇〇日目の、ヘビメタの騒音時間と、1日目のヘビメタ騒音時間が同じだとしても、蓄積があるからちがうんだよ。たとえば、三〇〇〇日鳴っていた場合の、三〇〇〇日間の朝の状態を、ほかの人たちは、経験してない。経験してないのに、「ちこくしないことはかのうだ」「べんきょうぐらい、できる」と言う。経験してないでしょ。こういうことを言う人たちが、いったい、何時間、ぼくの部屋で、ぼくとおなじようにヘビメタ騒音を経験したんだ? こういうことを言う人たちが、どれだけ、勉強ができない時間を経験したんだ? こういうことを言う人たちが、どれだけ、勉強ができないくやしさを経験したんだ? 「かこなんてかんけいがない」……「ふざけんな」。もう、なぐってやりたかったね。なぐったって、なぐったとたんに、なぐったことは、過去のことになるんだぞ。なぐって「かこはなんてかんけいがない」と、俺が言ったら、おまえはどう感じるんだ。きちがいヘビメタの連続は、なぐるなんてことより、よっぽどひどいことなんだよ。それがわかってない。どれだけ、ダメージをくらうか、ぜんぜんわかってないなぁ。