一番大きな悪がおこなわれているのに、それは、気にしないで、一番小さな悪については、えらそうなことをがんがん言うというのはおかしいのではないか。きちがい兄貴の騒音は、悪いことだ。弟がこまっているのに、きちがい的な意地で、きちがい的にでかい音で、ずっと、音楽を鳴らすことは、一番大きな悪とは言わないけど、相当に大きな悪だ。俺が自殺をしなかったから、結果的に、自殺に追い込むような音で鳴らしていたということにはならなかったけど、人の人生を台なしにしてしまうような行為を、自ら進んで、きちがい的な意地でやっていた。これは、悪だ。かなり大きな悪だ。そして、たとえば、きちがい家族がきちがい的な音でヘビメタ騒音を鳴らしていたから、働けなくなったということは、別に、悪いことではない。「働けないから働いていないだけ」だ。ところが、凡庸な佐藤は、「働けるのに働けない」と解釈してしまう。ヘビメタ騒音『で』働けなくなったと言っているのに、ヘビメタ騒音の影響を過小評価して「働ける」と判断したのだ。凡庸な佐藤が、働けると判断したら、凡庸な佐藤のなかでは、「働ける」ということになってしまうのだ。そして、「働けるのに、働かないのは、悪だ」という判断がしょうじる。この悪は、どう考えても、小さな悪なのに、凡庸な佐藤のなかでは、きちがい的な騒音をずっと、十数年間も毎日、鳴らすことよりも、この、「働かない」ということのほうが、悪いことに思えるのだ。ぼくは、ヘビメタ騒音で働けなくなった」と言っているのに、凡庸な佐藤が、「エイリさんは働ける」「騒音で働けなくなることはない」と勝手に考えているだけだ。けど、佐藤の頭のなかではそうなのである。だから、働けるのに働かないのは悪だと考えている佐藤が、きちがいヘビメタで働けなくなった俺に対して、働くことを『要求』してくるのである。俺は、「ヘビメタ騒音で働けなくなった」と言っているだろ。日本語、わかる?
ともかく、ヘビメタ騒音という大きな悪、を、まるで関係がないものとして判断して、「働かないのはけしからん」と思うやつが、けしからん。小さな悪、ではないものを、小さな悪と決めつけ、大きな悪を無視して、小さな悪をせめる。こんなのは、おかしい。これこそが、悪だ。
++++++++
弟の人生を破壊するような音で毎日毎日、頑固にヘビメタを鳴らす……でかい音で鳴らすということが悪だ。「自殺するしかない」と弟が思うような音で鳴らし続けるということが悪だ。弟が「入学試験だからやめてくれ」と言っても無視して鳴らし続ける態度が、悪い態度だ。それなのに、こいつらときたら、その悪の結果、働けなくなった人を働かないということでせめたてるのだ。働けなくなった人と、働けなくなった人を(働けるという前提で)せめたてる人、どっちが悪か? どっちが、道徳的で、どっちが、非道徳的か?
なんでこいつらは、弟が、「やめてくれ、やめてくれ」と言ったいたのに、よその家じゃ鳴らせないようなでかい音で鳴らし続けた兄の悪は追及せずに、働けなくなった弟が「働いてない」ということを、悪とみなして、追及するのか?
これが、今世紀の「普通の人たち」の判断。これが、今世紀の「普通の人たち」の態度。