俺、よく生きてるなぁ。よく生きている。これ、ほんとうに、家族の騒音問題ってほかの人にとっては、「片づきやすい問題」に見えるのである。そんなに深刻な問題に見えないのである。それは、「言えば」しずかにしてくれるからだ。どれだけけんかしても、四日ぐらいでかたがつくはずだ。だいたい、どっちが『きちがい的にうるさい音で鳴らしているか』は、親にとって明白なことなので、親が、『きちがい的にうるさい音で鳴らている』側につくということはない。ところが、きちがい的な父親ときちがい的な兄貴なので、そうなって知ってしまうのである。母親の言うことは、きちがい親父も、きちがい的な兄貴も、どっちも聞かない。この「聞かない態度」がそもそも、きちがい的なのである。そして、「聞かなかった」という認知がしょうじないというところも、きちがい親父ときちがい兄貴でおなじなのである。認知に関して、きちがい親父ときちがい兄貴がおなじ問題をかかえている……こういうことが、ほかの人には見えない。きちがい親父の問題も、きちがい兄貴の問題も、ほかの人にはないのである。どうしてかというと、うちのきちがい親父のように、きちがい的である人が、父親のなかにいないから。よその家は、きちがい親父とおなじように認知の問題がある父親がいないのである。ぼく以外のだれも、「うちのきちがい親父のように狂っている父親」がやることを経験してないのである。だから、「けんとうはずれ」なことを言いやがるのである。まったくおなじことが、きちがい兄貴の問題にも成り立つ。
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親父(おやじ)と読む