ほんとーーに、つかれた。ほんとうに、きちがい兄貴ときちがい親父に、体力をもっていかれた。生活体力をもっていかれた。憂鬱なんだよね。動きたくない。なにかをするとなると憂鬱。
きちがい兄貴やきちがい親父と暮らしたことがない人には、わからない。実際に、人生のなかで、きちがい兄貴やきちがい親父と暮らした時間が、何時間あるかで、憂鬱かどうかがちがう。これは、今現在、いっしょに暮らしてなくても、過去において、いっしょに暮らしていた時期があるということが影響をあたえる。いまの、憂鬱度に影響をあたえる。みんな、「憂鬱な感じがする」ということについて、勘違いをしている。疲労とおなじように、憂鬱な体験がつみかさなれば、それは、やはり「今現在の憂鬱度」に影響をあたえる。関係がないわけじゃないのである。この世の感覚……に影響をあたえる。今現在の時間感覚に影響をあたえる。きちがい兄貴はきちがいヘビメタ騒音で、きちがい親父はきちがい行為で、それぞれ影響をあたえた。そして、きちがい親父のきちがい行為が、ネズミ事件・ネズミの糞事件・ダニ事件を引き起こしたので、それも影響をあたえる。ネズミの糞は、まだ、下の部屋と兄貴の部屋に散らかっている状態だ。そして、ダニが発生する。
だれもが、きちがいヘビメタをあれだけ、横の部屋で鳴らされたら、働けないからだになるのに、ぼく以外のだれも、それを経験してないから、そうなるということがわかってない。彼らのなかでは、「ヘビメタが鳴ってたって働ける」ということになっているのである。あるいは、「自分なら、ヘビメタを鳴らさせないようにできた」ということになっているのである。「かりに、ヘビメタを鳴らされたにしろ、過去のことなら関係がない」ということになっているのである。いずれも、まちがっている。