2022年10月28日金曜日

それだと現実が説明できないの!

 ヘビメタ騒音の影響がどれだけでかいか、想像することができない、想像力がない人から、俺が、……この俺が……ばかにされるんだぞ。説教、されるんだぞ。こういうことになってしまうから、「静かにしてくれ!!」「静かにしてくれ!!」「静かにしてくれ!!」「静かにしてくれ!!」ときちがい秋にの部屋に行って、絶叫したのに、きちがい兄貴は、ほんとうに、まったくわかってないなぁ。きちがい的なやり方で「のりきって」やってしまうのである。けど、「のりきってやった」ということを、これまた、きちがい的なやり方で「認識しない」のである。初めから認識してないのだから、「忘れた」わけじゃないんだよ。一度、認識したことを、忘れたわけじゃない。けど、認識したのかどうかなんて、外から見てわかるわけじゃないのだから、おなじ意味を持ってしまうのである。「認識して忘れたということ」と「最初から認識してないということ」は、おなじ意味を持ってしまうのである。そうなると、ほかの人は、忘れただけなのではないかと思ってしまうのである。そうなると、きちがい兄貴はきちがい兄貴ではなくて、忘れやすい人だということになってしまうのである。忘れたのであれば、よくある話になってしまう。けど、ちがう。それから、きちがい兄貴自体が認識してないのだから、きちがい兄貴のなかでは「そんなことはやってない」ということに、なっているのである。だから、こっちから見ると、きちがい兄貴の態度は、すっとぼけて腹がたつことなのだけど、きちがい兄貴のほうは、そんなことは、もちろん、一切合切気にしてない。「そとから見てわかるわけじゃない」のだから、エイリが、想像して話していることだということになるのだけど、それは、そうだ。現実の態度やきちがい兄貴の発言をもっとも、うまく説明できるのが、そういう仮説なんだよ。そりゃ、きちがい兄貴の頭のなかのことなんてわかるわけがない。けど、もし、「一度は認識した」と考えると、おかしなことがあるんだよ。それだと現実が説明できないの! きちがい兄貴の発言は、そう考えないと説明ができないことなんだよ。

こういう感覚器を書き換える「うそ」は普通の人では、つけない「うそ」なんだよ。きちがい兄貴ときちがい親父は、感覚器を書き換えてしまうタイプなのだけど、それは、認知症の人を相手にしているのよりも、はるかに、骨が折れることなんだよ。で、ほかの人は、これがわかってない。どれだけ、そういう態度……で……腹がたつかわかってない。これは、腹がたつ態度なんだよ。「そういう態度」というのは、きちがい兄貴やきちがい親父が、きちがい的な意地で、自分のやりたいことを押し通してしまうときの態度だ。そして、それを認めないときの態度だ。普通の家に生まれた人でも、親が認知症になった場合、あるいは、家族の誰かが認知症になった場合、認知症である人との間の「もめごと」は、健常者同士のもめごととはちがうということがわかるだろう。けど、感覚器を書き換えてしまうタイプの人は、認知症の人よりも、レアなんだよ。そして、こういっちゃ悪いけど、認知症の人なんかよりずっと悪質なことをするわけ。だから、腹がたつわけ。しくみがあるの!!! しくみがあるの!!

それを、まるで、俺の問題のように言いやがって。「気にするやつが悪い」「他人をかえることはできないから自分を変えるしかない」「たましいが、そのうちを選んだ(うまれるまえに、たましいが、その親を選んだ)」というようこと言うような人たちがいる。この人たちたちが、どれだけ、ひどいことを言っているかの、この人たちはわからない。けど、それは、きちがい兄貴やきちがい親父にある感覚器の言い換えとは関係がないんだよ。けど、「ひどいことを言っている」ということについて説明すると、そういう人たちも、「俺が、そんなきちがい親父や兄貴とおなじだというのか?」と言って、腹をたててしまう場合がある。こういうこと、ひとつをとっても、きちがい兄貴とのあいだにあったこと、きちがい親父とのあいだにあったことというのは、ぼくの人間づきあいに影響をあたえる。「きちがい親父とのあいだにあったこと」というのは「ぼくときちがい親父とのあいだにあったこと」という意味だ。おなじように、「きちがい兄貴とのあいだにあったこと」というのは、「ぼくたきちがい兄貴のとのあいだにあったこと」だ。この、「あいだにあったこと」というのは、実際にしょうじたことだ。実際の出来事だ。ぼくが、頭の中で考えているだけのことではないのだ。みんな、これも無視してしまうけど、実際に発生したことが、人間関係に影響をあたえるんだよ。ちょっとだけ、言っておくと、「たましいが、そのうちを選んだ(うまれるまえに、たましいが、その親を選んだ)」ということは、実際にあったことではなくて、その人が頭の中で想像して考えていることなんだよ。「たましいが、そのうちを選んだ(うまれるまえに、たましいが、その親を選んだ)」というのは、想像して考えていることなんだよ。そういう想像をして考えたことを、あたかも、現実的な前提のようにして言うのは、よくないよ。そりゃ、信じているのは勝手だけど、ひとのことについて、そういう前提でものを考えて言うのはよくないよ。失礼だよ。そして、これも、ちょっとだけ言ってしまうけど、認知療法家のきれいごとも、じつは、「むりなこと」を含んでいる。きれいごとにあわせて、実際の現象を認知すればよいということになるのだけど、そうはならないのである。どうしてかというと、そのきれいごとでは、説明ができない出来事が、実際に、たーーくさん、たーーくさん、おこったからだ。現実が説明できないきれいごとを認知の方法として採用する気がするか? ……認知療法家が推奨するような「現実の認識」というのは、まったくもって現実的じゃないのである。認知療法の場合、患者の認知がゆがんでいて、自分たちの認知はゆがんでない……ということが前提に成り立っている。患者の「現実認知」がゆがんでいるからだめなんだということになっているのである。けど、ほんとうにそうなのかということには、ずっとまえから疑問を感じている。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。