2022年10月26日水曜日

「すぐ隣に幼稚園があるけど、幼稚園の騒音とはちがう」

 この世で一番嫌いな音が、一日中鳴っているということが、ほかの人にはわからないのである。わからない。そういう一日が、どういう一日なのかわかってない。わかってない。これ、ほんとうに、常にからだを締め付けられているような状態なのである。圧迫されているような状態なのである。からだをぐりぐりにねじられているような状態なのである。腸がぐりぐりにねじられているような状態なのである。頭をたたかれ続けているような状態なのである。あの、切迫した、気持ちがわかるか。あの切迫した状態がわかるか? からだが、くるしい。ただ単に、「うっさいなぁ」と感じるような音じゃないのである。だから、ぼくは「すぐ隣に幼稚園があるけど、幼稚園の騒音とはちがう」と言っているのに、ほんとうに、きちがいヘビメタ騒音を聞いたことがないやつはわかってないなぁ。きちがい兄貴によるきちがいヘビメタ騒音なんだよ。そして、相手は、きちがい的な意地でやるけど、やっているつもりがまったくない状態なんだよ。この状態が、成り立っているということは、腹がたつことだ。こんな汚いことをやっているやつが、壁のうしろにいる。自分の部屋の壁のうしろにいる。すぐ後ろにいる。壁がなかったら、すぐそこで鳴らしている状態が見えるんだぞ。そういう距離で鳴らしているんだぞ。ぜんぜん、ちがう。そういう距離で、あの音が鳴っていていいわけがないだろ。これ、佐藤のようなやつは、普通の騒音だと思っている。普通の!騒音だと思っている。「そんなんじゃない」ってどれだけ言っても、わからないんだよな。きちがい家族による、至近距離の、しつこいしつこい、騒音を聞いたことがないやつは、だめだ。経験がないと、ほんとうにわからないのである。きちがい兄貴の態度に関して言えば、きちがい兄貴のような家族が、家族のなかにいない場合は、きちがい兄貴の態度とぼくが言っても、わからないんだよね。どれだけ、不愉快か、わからない。どれだけ腹がたつかわからない。そりゃ、耳が正常なら、絶対にわかることを、わからないまま、やってのける態度は、むかつくだろ。むかつくんだよ。そういうやつが鳴らしている騒音はむかつくだろ。むかつくんだよ。もう、切羽詰まった状態で、教科書を開いて、机の前に座っているという状態が、どれだけ、ひどい状態かまるでわかってない。あの音を聞かされてないかわからならない。あの態度で鳴らしているやつを知らないから、わからない。そんなのが、毎時間、毎時間続いていいわけがないだろ。

絶対の意地で無視して鳴らしているのに、鳴らしているつもりがないなんておかしいだろ。けど、いつもそうなんだよ。毎時間、毎分、毎秒そうなんだよ。どれだけきちがい兄貴に言っても、かわらないんだよ。この態度は、きちがい親父の態度とおなじだ。「うち」にふたりも、こういう人間がいるということがわからない。普通の人にはわからない。普通は、ひとりだっていない。

相手が「やめてくれ、やめてくれ」と絶叫していることを、やっているのに、「やった」ということを認めないのだ。こんなのは、ない。相手が、自分の横で、「やめてくれ、やめてくれ」と絶叫していることを、きちがい的な意地でやっているのに、やったというつもりがないまま暮らしている。こんなのはない。これ、きちがい的な意地でやったことを、きちがい的な意地で否定するんだよ。で、きちがい的なことをやっているときの態度と、きちがい的な意地で否定するときの態度がおなじなんだよ。これ、ただ単に「態度」と書くと、まるでなにもつたわらないかもしれない。これ、意地がかかっているのである。とりつかれているような態度なのである。だから、とりつかれているような態度で、強引にやったことを、認めないんだよ。とりつかれているような態度で強引に認めない。強引に認めないというのは、ちょっと日本語としておかしい感じもするけど、ほんとうに、そういう態度なの!!

こういう人間が家族のなかにいない人の場合、ぼくがなにを言っているのか、わからない。こういう人間が、うちのなかで、実際にやったことが、こういう人間が、家族のなかにいない人には、まったくわからない。 

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「強引に」のあとにはなにか動きがある動作がつづくのが一般的だ。認めるだと、動きがないのでちょっとおかしく感じるのである。グーグルで調べたら六件しかヒットしないので、言い方としては、おかしいのだろうなぁと思う。「強引に認めさせる」だと、動きがあるのでへんな感じがしない。「認めない」のは、状態であって、動作じゃないんだよな。普通の感覚だと。行動主義心理学だと認めないのも、「行動」だ。


 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。