つまんない。
楽しくない。
楽しくない。
これは、しかたがないことだ。あんなことをされ続けて、楽しいわけがない。あの生活の延長線上にあるこの生活が楽しいわけがない。「過去は過去」。「過去は過去だけど、だから、過去の出来事は、いまの状態とは関係がない」と考えるのはおかしい。これは、好みの問題ではない。過去の出来事には、いま現在の状態に影響をあたえる過去の出来事と、影響をあたえない過去の出来事がある。影響をあたえないということは、じつはなくて、影響がないと考えることができるぐらいに小さな影響しかあたえてない過去の出来事だということになる。ある時点で、ワクチンを打てば、ワクチンを打ったということの影響がある。プラシーボにあたった人や、弱毒でまだ影響がない人には、影響がないと思えるような過去の出来事だ。しかし、物理的なからだの変化がある。その変化は、原子の運動に置き換えることができる。ようするに、生化学的な変化が起きてしまう。本人の意思に関係なく、からだを構成している原子に変化がしょうじる。まあ、分子というレベルで考えたほうが、考えやすいのだけど、分子レベルの変化というのも、けっきょく、原子レベルの変化で説明がつくので、原子という言葉を使っておいた。……。まあ、遅延性の毒をからだにいれたら、毒が効果を発揮するということだ。人間の意志とは関係なく、人間のからだに変化がしょうじる。そうしたら、変化の影響をうけないわけにはいかない。わかるかな?
* * *
「過去はかわらないけど、過去の解釈は変えることができる。過去の解釈をかえれば、過去がかわったということになる。だから、過去をかえることはできる」……と考える人たちがいる。けど、意志にしたがって書き換えようとしたばあい、意志にしたがって書き換えようとしたという過去の出来事がしょうじるだけだ。たしかに、解釈によって、過去の現実世界に関する解釈はかわる。しかし、それは、自然な変化でなければならないのである。意識的に「こういうふうに思おう」と思って、思い込もうとした場合は、そういうちからがあるぶんだけ、反作用も同時に生じてしまうのである。意識的な書き換えを必要としているということは、その過去の出来事がいまの自分にとってあんまりよくない過去の出来事だということを意識しているということだ。手短に言うと、りきみがある。ご利益主義で、ご利益をもとめている。意識して、改ざんしようとしている自分を知っている。意識して、改ざんしようとしている自分というものに関する意識がしょうじる。改ざんというのは、この場合は、記憶の改ざんだ。自分で記憶の改ざんをしようとしている……ということを知っている。これは、重要なことだ。自然な変化と言ったけど、自然な変化の場合は、そういうりきみがないのである。ご利益のために、書き換えようと思った瞬間に、作用と反作用がしょうじて、うまくいかないのである。ご利益が得られない。