基本的に差があるのだけど、その差を無視した状態で暮らしているわけだ。そして、貧乏なほうが、金持ちのくそ理論を「買う」のである。一時的な気晴らしのために、現実的ではないくそ理論を買うのである。そうしないと、やっていけないから、そうする。けど、その金持ちのくそ理論で、貧乏人が、金持ちになることはない。
貧乏人は、「どうにかなりそうな気分」を1000円ぐらいで買うのである。本なら1000円ぐらいで買えるだろう。本を読んでいるあいだは、その呪術的な方法でどうにかなりそうな文を味わえるのである。
しかし、「差」は「基本的な差」によって生じている差なので、その呪術的な方法は、まったく、意味がない。どれだけ、呪文をとなえても、金持ちになれない。
買ったのは、「呪文をとなえれば、金持ちになれる」という素敵な気分だ。金持ちは、基本的な差において、金持ちなのである。呪文をとなえたから、金持ちになったのではない。
ここに、トリックがあるのだけど、気がつかない。
だまされているほうは、気がつかない。
しかし、だまされているほうではなくて、だましているほうも、気がつかない場合がある。この場合は、金持ちは、ほんとうに、呪文をとなえたから、金持ちになったと思っているタイプだ。
じつは、こういう人は多い。
両方とも、基本的な差を無視して、呪文をとなえたかどうかということに注目してしまう。まあ、この場合でも、金持ちのほうは、もっと金持ちになり、貧乏人は、もっと貧乏になるのである。
金持ちが呪術的な方法を信じている場合、実際に、呪術的な方法でカネが入ってきたと確信するだろう。そりゃ、呪術的な方法を売ることで、おカネが入ってくるのだから、そういうふうに錯覚しても、まったく問題はない。錯覚しやすい状態が成り立っている。いっぽう、貧乏人は、本を買ったぶんだけ、損をしている。カネが出ていっている。
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