めぐまれた人が生れの格差を無視したいのは当然だが、めぐまれてない人も生まれの格差を無視したいときがあるのだ。めぐまれてない人が生れの格差を無視したいときは、そういうことを無視して、空想の世界で、解放されるときなのである。しかし、これは、空想の世界で解放されただけで、現実の世界では、解放されてない。現実の世界では、あいかわらず、しばられた生活をしている。なにによってしばられているか? さまざまな条件によってしばられているのである。
39度のお湯につかっているのか、1度のお湯につかっているのかで、「快適だ快適だ」と言ったときの反応がちがうということについて、のべた。これは、快適さを感じる「能力」のちがいなのだろうか? 人間的にすぐれているから、「どんな状態でも」快適にすごせる人がいるのだろうか?
また、残酷なことだけど、「他人」としてみた場合、「快適だ」と思っている人間と「不快だ」と思てっいる人間のどちらに、好意をいだくだろうか? もし、「快適だ」と思っている人間には好意をいだくけど、「不快だ」と思っている人間には好意をいだかないとなると、条件として不利な人は、自分に対して好意をいだけないということになってしまうのである。けど、これは、完全に他人としてみた場合であって、実際には、自分のことを他人だとは認識しない。1度のお湯につかっている人は、それだけでも、きついのに、他人からは「不快に思われる」のだ。これは、けっこう重要なことだ。しかし、今回は、この問題には深入りしないで、軽く流す。
今回、言いたいことは、生まれの格差において「下」である人も、生まれの格差という条件を無視したいという欲求があるということだ。だから、二項文がはやる。エックスをすればワイになるという二項文は、条件を無視している。さいしょから、重要な条件を無視している。その条件が、ワイの部分を決定するのに、エックスという項目を持ち出して、エックスがワイの部分を決定すると言うのである。これは、子供だましで、完全にまちがったことだ。しかし、「わすれたいひと」はそれにしがみつく。実際には、条件のほうが重要なのに、一瞬、「エックスさえすれば」よいのだと思い込んでしまう。エックスは、簡単にできることであり、自分でもできることだ。自分でも簡単にできることで、ワイになってしまうのだ。あるいは、ワイを手にすることができるのだ。それなら、やったほうがいいということになる。ところが、実際にやってみても、ワイにはならないし、ワイを手にすることがない。妄想の世界、空想の世界では、簡単に、ワイになれるし、ワイを手にすることができるのに、どうして、現実の世界では、ワイになれないし、ワイを手にすることができないのか? 条件があるからだ。現実の世界においては、生まれの格差という「初期値」が、さまざまな条件をうみだしてしまう。人間は、そのさまざまな条件の「格差」のなかでいきている。その「格差」は現実的な行動を、規定するのである。なので、現実の世界では、エックスをやっても、ワイになれないし、ワイを手に入れることもできない。
けど、エックスをやって、ワイになれたという人もいるし、ワイを手に入れたという人もる……じゃない? と思うだろうか? これは、ちがう。ワイになった人もいるし、ワイを手に入れた人もいる。しかし、エックスで、ワイになったわけではないし、エックスでワイを手にいれたわけでもないのだ。悪意があるのかどうかわからない。ただ単に本人も誤解しているのだけなのかもしれない。けど、エックスをしてワイになったわけではなくて、エックスをするまえから、ワイだったのだ。あるいは、エックスをして、ワイを手に入れたわけではなくて、エックスをするまえから、ワイを手に入れられる状態だったのだ。
たとえば、39度のお湯につかっている人は「きもちいい」と言う前に、きもちよかった。けど、これを「きもちがいい」と言ったから「きもちがいい」と感じたと理解していたらどうだろう? 1度の水につかっている人にも「きもちがいい」と言えば「きもちよく感じる」と言うわけだ。そして、それは、39度の人にとっては、正しいことだ。主観的に、まさしくそう思っているのだから、正しいことを言っているようにしか思えない。しかし、「きもちがいい」と言う前から、きもちがよかった。
たとえば、お金持ちが「おカネがある」と言ったとする。その、お金持ちは「おカネがある」と言ったから、おカネがあるのだと勘違いしたとする。そうなると、二項文としては「おカネがあると言えば、おカネがある状態になる」ということになる。エックスは「おカネがある」と言うことであり、ワイは、おカネがある状態になるということだ。けど、その人は、もともと、おカネがあった。お金持ちだった。「おカネがある」と言う前から、お金持ちだった。お金のない人が「おカネがある」「おカネがある」と言っても、おカネがある状態にならない。