生まれの格差について文句をつけるのは、「みっともないことだ」という意識をもっている人がいっーーっぱい、いっーーっぱい、いると思う。これ、この社会のなかで普通に生きているとそういう意識をもってしまうのである。これは、洗脳の結果だ。2022年1月に、マスクをしているような人は、特別にマスクをつけなければならない理由がある人以外、 生まれの格差について文句をつけるのは、「みっともないことだ」という意識をもっている人だと思う。生まれの格差はある。環境の格差はある。しかし、生まれの格差について言及してはいけないのである。もし、言及すれば、「そんなのは、ない」「あっても、たいしたことはない」「嫉妬はみっともない」「不満を言うのはみっともない」ということばを浴びせられるだろう。これが、「洗脳の結果」だとしたらどうだろう? ぼくは、今現在、これは、度重なる洗脳の結果だと確信している。
実際には、生まれの格差の格差の度合いがひどいのである。大きいのである。でかすぎるほどでかいのである。しかし、「でかい」といってはいけない。そして、生まれの格差の影響もでかいのである。けど、生まれの格差の影響に関しても、でかくないことになっている。生まれの格差がそもそも、でかいということと、その格差の影響が、その人の人生に大きな影響をあたえるということが、「ともに」否定される。否定される傾向にある。たいていの人が、生まれの格差は、ないと思っている。あるいは、生まれの格差があったとしても、ちいさい格差しかないと思っている。たいていの人が、生まれの格差の影響は、ないと思っている。あるいは、生まれの格差の影響があったとしても、ちいさい影響しかないと思っている。これは、おかしい。さらに、格差や格差の影響について述べることは、みっともないことだという共通の認識があるのである。これは、操作されて、つくられた認識だ。
支配者躁にとって、そういう認識をつくることは、意味があることだ。もし、そういう認識をつくらなければ、格差の頂点にいる彼らの立場があやうくなる。