けど、いまも鳴っているのだ。午後4時。この間の時間……。時間……現在進行形で聞かされた時、どういう状態になるか? それは、たとえば、「6時間鳴っていた」ということばでは表現できないものだ。5時間鳴っていた」とだれかが書いて、だれかが、「ああっ、6時間鳴っていたのね」と理解する。理解する。理解する。6時間鳴っていたということは、言葉で理解できる。けど、実際に、その人が体験したわけじゃない。自分がきらいな音が、自分がきらいなきちがい家族によって、ずっと鳴らされている状態がきついのだ。腹立たしいのだ。ぜんぜんちがう。だから、「理解した」としても、それは、ぜんぜんちがうことを「理解した」にすぎない。けど、ヘビメタ騒音のことを、聞いた人は、「6時間鳴っていた」ということを文章として理解するようなやり方で理解する。別に、経験したわけじゃない。個別の、自分がこの世で一番嫌いな音をずっと鳴らされて、6時間経過した状態を経験しているわけではない。だから、理解のしかたがぜんぜんちがう。他人の言葉を聞いて理解した内容と、他人が経験した内容を、おなじものだと考えるべきではない。けど、そういうことを経験したということを理解したと思うと、言葉と実際の経験のちがいが、わからなくなってしまうのである。