ヘビメタがどれだけたいへんなものか、みんなわかってない。鳴っているあいだの時間がすべて汚染されてしまう。いま日曜日の午前10時36分だけど、この時間は、つねにヘビメタが最大限の音で鳴っていた。空気がよごれる。どれだけ無視しようとしても、からだにこたえる。こんな時間からずっと鳴らされ続けて、からだにこたえないわけがないだろ。そういうことの影響のほうが、たとえば「眠れる眠れる」と言うような暗示よりもでかいんだよ。もう、チリと太陽ぐらいにちがう。ところが、言霊を信じている人は「眠たい眠たい」と言えば眠たくなると言って聞かない。「眠れる眠れる」と言えば眠れると言って聞かない。そして、きちがいヘビメタ騒音でどうしようもなく、「おしだされて」健康管理が出ない状態になるのに、健康管理が出ないのは問題だとせめられるようになる。「受験というのは、健康管理も含んでいるんだよ」などと言われる。そいつには、きちがい兄貴も、きちがい親父もいない。きちがい兄貴が頑固に鳴らす騒音もない。そういう、突き刺さる、騒音が鳴っている時間も短い。あったとしても短いし、きちがい兄貴、きちがい親父でなければ、二日もあれば、解決している問題なんだよ。こいつら……きちがい兄貴ときちがい親父は、自分が、きちがい的な意地でやっているからそういう問題が生じているのに、自分が、まったくの部外者なのだ。まったく関心がない。なら、言うことを普通に聞いてくれるかと言うと、それがまったくない。だから、『きちがい』という単語を使って説明しているわけ。これまた、きちがいと言う単語を理由もなしに使っているわけじゃないんだよ。態度としておかしいんだよ。そりゃ、きちがい的な意地でやっていることなのに、まったくつもりがないことなのだから……主観的にはやってないこととおなじなのだから、自分がやっていることに関する認知がおかしい。けど、自分がやっていることに関する認知がおかしいことで、得をしているのである。きちがい兄貴なら、きちがいヘビメタを、心おきなく、でかい音で鳴らすことができる。これ、おばあちゃんのうち」だったら、きちがい兄貴だって一分間だって鳴らせないほどでかい音なんだよ。けど、「うち」だったら、「こんなのあたりまえ」という感覚で、ずっと鳴らすことができる。殺さなければ、排除できない。そういう意地で鳴らし切る。けど、本人は、ほんとうに「鳴らしたつもりがない」状態なのだ。これがこまるんだよ。「自分」と書いて「自分たち」とは書かなかったけど、おのおの「自分」ということだ。きちがい兄貴にも、きちがい親父も、おなじことが成り立つ。こまるのは、まわりの人なんだよ。
きちがいヘビメタのことを説明したあと、きちがいヘビメタの影響を無視して、えらそうなことを言ったやつは、みんなまるまるすればいいと思うよ。
人生が、屈辱的な人生になってしまう。兄が、きちがいで、きちがい的な意地で、きちがい的な時間の長さ、きちがい的な騒音を鳴らすという状態になると、こまるのだ。けど、そういうこまり方をしている人間が、ぼく以外にいない。だから、どういうふうにこまるかと言うことは共有できないし、そもそも、話が通じないということになる。そりゃ、他人は全員、きちがいヘビメタ騒音を経験してないのだからそうなる。どれだけつらいか、ほんとうにわかってない。