ほんとうに、つまんない。ヘビメタ騒音さえなければ……。ほんとうにあのとき、すべての感情がほろんだ。あのとき……。あのときからずっとくるしいだけだ。どれだけがんばっても、どれだけ、楽しもうとしても、つらいだけだ。
あれはない。ほんとうに、みんなわかってないなぁ。経験がなければわからないか? 人間の感情というのは、意志的な思考でどうにかなるものではない。実際に経験したことがものをいう。そのとき、実際にからだが影響をうけている。もちろん、ヘビメタ騒音にさらされたからだ全体が影響をうけている。脳みそだって、からだの一部だ。「楽しもうと思えば楽しめるはずだ」というような考えをもっている人は、きちがいヘビメタ騒音のような長期の経験がない人たちなんだよ。だから、そんなことを言っていられる。もちろん、そういうことを言っていられるようなことしか、経験してないというのは、いいことだ。これ、いいことだからな。別に、バカにはしてない。けど、そういうことを言う人たちが、こっちの状態を無視しているのである。だから、「そういうことではない」ということを説明するわけ。だけど、そういう人たちだって、自分が正しいと思っていることを否定されたら、おもしろくないわけだよ。けど、そのおもしろくない経験の「不快度」を1だとすると、ヘビメタ騒音、一秒間の「不快度」は、1兆だよ。そのくらいちがう。
言霊の人もそうだけど、自分が正しいと思っていることを否定されたら、気分が悪いわけだよな。じゃあ、相手が正しいということにして、つきあうとなると、こっちが不愉快な思いをするわけだよ。相手の理論?は、ぼくの体験を裏切っている。ぼくが実際に経験したことから考えると、やっぱり、相手の理論はまちがっているのである。あきらかに、まちがい。どうしようもなく、まちがい。修復しようがないまちがい。
考えてもみろ。横にきちがい兄貴がおらず、きちがい兄貴のきちがい騒音を体験しなければ、ぼくだって、「そうですね。そうですね」と話をあわせることができたのだ。そして、話をあわせても、不愉快な気持になる家ではなかったのだ。どうしてなら、ぼくだってそう思っているからだ。ところが、ちがうのである。この「ちがいのふかさ」というのは、きちがい的な兄がいない人間にはわからない。きちがい的な兄が、きちがい的な意地でヘビメタを鳴らすということを毎日続けたということ、実際にはどういう意味をもっているのか、わかるわけがない。これ、ほんとうに、毎日、ひどい。そんなのは、ぶっとぶ。言霊なんてぶっ飛ぶ。どれだけ、「だいじょうぶだ。だいじょうぶだ。だいじょうぶだ。」と言ってもぜんぜん、だいじょうぶじゃない状態が続く。どれだけ「すぐに鳴りやむ」「すぐに鳴りやむ」「すぐに鳴りやむ」と言ったって、鳴りやまない。どれだけ「眠れる。眠れる」と言ったって、ぜんぜん眠れない。
ほんとうに、常識人・佐藤みたいな人間には、そういうことがわからないんだよな。人のことだと思って、ヘビメタ騒音を軽く見積って!! ヘビメタ騒音の影響を無視しをがって!! おれがどれだけ、ヘビメタ騒音の影響でできないと言っても、それは無視して、できるという前提で、くそ説教をしてくる。頭がおかしい。どうして、無視する? 俺が言っているだろ!!!!!
こいつらだけは、絶対に許せない。毎日、どれだけ希望をもって暮らしても、きちがいヘビメタが希望をうちくだく。毎秒毎秒、うちくだく。はげしく、うちくだく。そういう毎日が続いて、いいわけがないだろ。そういう毎日が続いて、通勤通学ができるわけがないだろ。働けるわけがないだろ。ところが、きちがい兄貴がおらず、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を経験したことがないやつは、ヘビメタ騒音のことを聞いたあとも、「そんなのは、関係がない」とかってに見積って、頭がおかしいことを言いだす。これ、完全に頭がおかしいことだからな。なにを聞いているのだ!!
鳴っている状態も、鳴り終わったあとの状態も、まったくわかってないな。鳴り終わったら関係がないと思っているのか? ぜんぜんちがうね。こいつら、想像力がないからまったくわからない。話しても、わからない。わからないやつの頭のなかでは、影響がないことなんだよな。どれだけ、あほか。