2022年9月18日日曜日

不幸の量


アドラー主義者やポジティブ思考愛好者は、不幸の量は、だいたい同じだが、ひとによって、不満を言いやすい人と不満を言いにくい人にわかれるという、人格モデルをほぼ無意識的に採用しているのである。なお、この無意識というのは、ただ単に意識してないという意味であってフロイトの「無意識」とはちがう。ようするに、もともとの不幸量のが一定で、ちがうのはその人がどのくらい、自分の不幸について語りやすいかどうかの問題であると思っているのだ。しかし、ふかふかな椅子に座っている人間と、トゲがついた椅子に座っている人間の不幸量がちがうように、現実社会においても、めぐまれたうちに生まれた人間は、不幸の量が少なく、めぐまれないうちに生まれた人間は不幸の量が多いと思う。この場合は、不幸量が一定ではなくて、不幸量には大きな違いあるという理論に立つのである。だから、まずもって、人格と不幸量の関係において、整理しておかなければならない。たとえば、不幸について語りやすい度合を1とする。だれもが1だとする。その場合、不幸量が10の人は10不幸について語り、不幸量が1000の人は1000の不幸について語るということになる。実際には、きちがい的な親にたたられた人間は、不幸量が増す。人格的に成熟した親に育てられた人間よりも、きちがい的な親にたたられた人間は、不幸量が増すのである。それは、きちがい的な親が、つねに、きちがい的な感情をもって、その人間に働きかけるからである。これ、わからないと思うけど、きちがいはきちがいだから、つねにきちがい的な行動をするのである。つねにきちがい的な感情をもっているのである。この場合、時間とともに、攻撃をうける回数が増えていくのである。それは、おぎゃーと生まれたときから決まっている。なにか、きちがい的な親のもとに生まれた人間も、きちがい的な親に生まれたあと、不幸が一定の量だと、勘違いしているような人間が多い。たとえば、アドラー主義者や認知療法家だ。こいつらは、不幸量が一定で、人格の問題があるから、不幸について語りやすいと考えているのだ。こいつらは!! こいつらは!! けど、それは、まちがっている。きちがい的な親が支配するうちに生まれた子供は、実際に不幸なことを経験するのである。それは、親によるいじめ?が、ずっと続くからである。わかりやすいように「いじめ」とか書いたけど、きちがい的な親は、死にものぐるいで、子どもにからんでくるのである。からむ。死にものぐるいで、子どもをいじめる。それは、内側の感情の爆発なのである。子どもは、人間サンドバックだから、どれだけたたいてもかまわないという「内的な」規定がある。思い込みがある。しかし、これまた、この思い込みが、無意識的なもので、本人が自覚できないものなのである。この無意識的なもの、の、無意識は、フロイトの無意識と関係がある無意識だ。ただ単に、自覚してないというレベルのものではない。ともかく、本人は、いじめているつもりはないのだけど、死にものぐるいになって、攻撃をする。その攻撃は、あたりまえの攻撃だから、息を吸って吐くように、攻撃をするのである。それは、生活のあらゆる点において、発揮されるのである。だから、不幸量は、毎日、不可避的に増えていく。一定じゃないのだ。ところが、「不幸な出来事」と「不満」という二項目をぬきだすと、そういう、条件がすべてぬけおちてしまう。そして、「不幸な出来事」の総数がだいたい同じなのだけど、不満を言いやすい人は不満を言うというモデルを採用して、不幸な出来事と不満の関係について語りだしてしまう。まず、条件がぬけているということに注目しなければならないのである。そして、不幸量が、ひとによってちがうということを重視しなければならないのである。それなのに、バカな人は、「不満を言う人は、みんな不幸だ」と言ってしまう。これは、不満を言いやすいという人格そのものに問題があるから不幸なのだと言っているのとおなじだ。こういう、発言は、条件を無視した発言だ。人によってまったく条件がちがうのに、条件のちがいは、無視されているのである。また、こういう発言は、不幸量を無視しているのである。無視しちゃ、いけないんだよね。

 ていよく、生まれながらにして不幸量が大きい人(不幸な出来事の数が多い人)のことを、おいこんでいる。こいつらの、無邪気な発言で、不幸な人がより不幸になるのである。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。