のどがかわいて、起きた。気温がさがったのですごしやすくなっている。けど、ぼくは、あいかわらず、動けない。いちおうやってはいるのだけど、亀の歩みだよ。鼻の横がかゆいのだけど、これが、ダニなのか、ダニじゃないのか、気になる。首のしたは、なんか、ダニに刺された感じがする。きちがい親父が二回、意地をはらなければ、こんなことになってない。ほんとうなら、親父が死んだ時点で、マンションを買って、完全にバルサンをたける状態にして、粗大ごみ回収の人たちにきてもらって、どうにかするということが必要だったんだな。引っ越してしまえば、バルサンをやるときに、食器や調理機の心配をする必要がなくなるからな。
まず、ネズミの流入をとめようとして、工事をしたのだけど、工事がうまくいかなかった。結果的には、工事をしたあとも、ネズミの流入をとめられなかった。これ、もう、においがついちゃうとだめなのだ。
まあ、ともかく、首の下のかゆみは、たぶんだけど、Tシャツが原因だと思う。洗って、ほして、置いておいたのだけど、それでも、ダニがついていたと考えるべきだな。というわけで、今度は熱湯処理をして、洗濯をしたけど、そういうのも、もう、限界なんだよな。動きたくないわけだから。この「うごきたくない」というのは、長期騒音と、親父のネズミ騒動で、引き起こされたことだ。ともかく、もう、「うごきたくない」のである。それを、おして、たとえば、熱湯処理をしている。片づけをしている。
これ、みんなわかってないだろうけど……。ともかく、築58年ぐらいの木造二階建てというのは、もう、むりなんだよね。けど、きちがい親父がネズミの餌付けをするまで、54年間ぐらい、ずっと、一匹も、ネズミなんて入ってこなかったのだ。あとでわかったことだけど、ネズミが侵入できる穴というか隙間があった。複数カ所あった。あったにもかかわらず、親父が餌付けをするまえは、一匹も入ってこなかったのだ。だから、これ、ちがうんだよね。ちがうんだよ。餌付けをして、いっぱいネズミの糞がころがっている状態になったあとは、どれだけ努力しても、次から次へ入ってくるという状態になった。なかなか、とめられないのである。工事をしても、むり。きれいさっぱりと、ネズミが入ってこれない状態というのを、つくれないんだよね。ねらわれちゃったら、だめなんだよ。ねらわれちったら。ねらわれちゃったら、意地でも入ってこようとするわけで、穴があいてなかったとこに、穴をあけて入ってこようとする。ほんとうに、54年間、きちがい親父が、きちがい的な方法でえ付けをするまでは、そんなことがなかった。どれだけ、穴があいていても、ネズミなんて一匹も入ってこなかった。それが、きちがい親父が、酒糟がついた魚の切り身を、24時間中、23時間、テーブルの上に出しておくことに、こだわってこだわってこだわってこだわって、こだわってこだわってこだわって、こだわってこだわってこだわって、殺さないとやめさせることができない状態になった。勝手に片づけてしまうのも、問題があるのである。かかわってしまったら、殺さずにはおけないような行為をすることになる。トラブルの連続になる。我慢すると、こっちの身がもたないような状態になる。どっちにしろ、殺さなきゃならないような状態になってしまうのである。おやじの頭の構造から言ってそうなる。「とおらない」のだよ。ちゃんと言えば、通じるとか、そんなおかしいことに、そんなにこだわるはずがないとか……普通の人は考えるわけだけど、ちがうんだよ。この場合も、かかわってしまって、こっちの意地をとおそうとすると、殺さなければならなくなるのである。それをがまんしている生きている。ともかく、「普通の人がやらないこと」を、親父がやりだすと、こまるのである。こまる。これ、ずっと前からおなじなんだぞ。たまたま、酒糟がついた魚の切り身を出すことにこだわることになったから、ネズミ関係のあれこれが発生しているわけで、こっちが我慢して、問題が発生しなかったことに関しても、こういう状態が成り立っている。おやじの頭が常にそういう状態だから、常にそうなっているのである。たまたま、酒糟のついた魚を「ほぼ」一日中だしっぱなしにすることにこだわったから、見えやすい問題が発生しているだけだ。
これは、兄貴でもおなじだ。おなじなのである。おやじのこだわりと、兄貴のことだわりが同じなのだ。こだわる箇所がちがうけど、親父の酒糟のついた魚の切り身をだしっぱなしにすることに関するこだわりと、兄貴のヘビメタを思いっきり鳴らすことに関するこだわりがおなじなのである。どれだけ言ったって聞きはしない。「殺さなければならない状態」を突き付ける。二十四時間中、二十四時間、つきつける。