やられてない人はわからないだろうけど、ほんとうに「出口」がないのだ。あのやり方だと、そうなる。こっちは十一歳だったんだ。きちがいヘビメタがはじまったとき、十一歳だったんだ。父親がきちがいだったんだ。兄貴が、きちがいだったんだ。あの状態だと、普通なら、親が、注意して、終わる。どれだけ、ヘビメタをでかい音で鳴らしたくても、それは、がまんする……ということになる。我慢させられる。母はまともな人で、注意してくれたけど、きちがい兄貴は、母の言うことを聞かない。で、きちがい親父のきちがいの度合いというか、方向性が、ほかの人にはまったくわからないんだよな。だから「そんなにうるさい音で鳴っているのに、親が注意しないのはおかしい」とか言って俺の発言に疑問をもつ。こういうしくみが、じつは、親のことにも成り立っている。きちがい親父の行為について、俺が説明しても、普通の人が信じないということが、たびたびあった。これ、たとえば、だれにでもわかる方向で、ずれているわけではないのだ。暴力はあったけど、少なかった。けど、きちがい親父の場合は、暴力にいたるまでが問題なんだよ。普通の人では理解できないことで、もめる。ハンダゴテのことだって、どうしてそんなことになるのか、ほかの人にはわからないことなんだよ。そして、普通の家ですんできた人、めぐまれた家ですんできた人にとっては、そういうことは、「はなから」関係がないことなんだよ。で、これも、自分のことではないから、わからない。だから、これも、なんて言うのかな? 軽く見るんだよね。アドラーの発言なんて、まったくそういうものだ。こいつは、自分が経験してないから、軽く見て、そんなは気にしないことが可能だというようなことを言う。けど、ちがうんだよね。まあ、家に、きちがいがいなかった人にはわからないよ。どういう状態でもめ事が起こるのかわってない。「どれだけがみがみ怒鳴られても、自分は気にしない」……そういうふうに言えるのは、生まれたときから、きちがいといっしょに住んでないやつの特権だ。ぜんぜんちがうのである。けど、「ぜんぜんちがうのである」と言っても、これまた、こいつらにはわからないんだよ。ある種、似たような頑固さがあるよ。人格はちがうし、ていどもちがうけど、頑固さが似ているんだよ。だから、きちがい的な親にやられた人は、アドラーが言っていることを聞いてしまうと、腹がたって腹が立ってしかたがない状態になる。親が気ちがいかどうかは、アドラーの本をぶったたかずに読めるかどうかで判断できる。認知療法家の本もおなじだ。アドラーとか、認知療法家の「わかってなさ」がひどいんだよ。これは、ひどい。あいつらは、考え違いをしている。どうしてそういうことが起こるかというと、きちがい的な親についてなにも知らないからだ。実際に自分が赤ちゃんのときからやられたことがないからだ。これ、外から見て、わかりやすいタイプの、ダメな親とはちがうのである。わかるわけがない。自分で経験していないのにわかるわけがない。ものすごく、複雑な状態で「くるっている」。そのくるっている、さまを、ほかの人に納得ができるように説明することができないのだ。どうしてかというと、ほかの人は、そういう親に育てられたことがないから、感覚的にわからない部分があるからだ。そして、自分のの常識的な感覚を信じてしまう。常識的な感覚とはちがう感じの話を「相手がする」ので、理解しがたいということになる。けど、きちがい的な親にやられたほうの認知……子供側の認知が、おかしいわけじゃないのだ。ここが感じなんだけど、わからないんだよね。わかりにくいタイプのきちがい的な親にやられた人のことは、普通の人はわからない。
ともかく、普通の人は、筋違いであることを言う。わかってないから、不適切な発言をする。不適切な発言だというのは、ぼくの側の意見だ……。もちろんぼくの側の意見だ。その不適切な発言をした人は、……普通の人は……自分が不適切な発言をしたとは思ってないのだ。たとえば、佐藤のように……。
親の格差といった場合、たいていは、親の収入の格差になる。貧乏な家に生まれて、安い給料で働いている人は、かならずしも、きちがい的な親にやられた人ではないので、これは、「貧乏な家に生まれて、安い給料で働ている人」には、わからないことだ。あるいは、「貧乏な家に生まれて、安い給料で働ている人」でもわからないことだ。これ、いっしょじゃないのである。まあ、わからない程度は、「貧乏な家に生まれて、安い給料で働ている人」とおなじだけど「普通の家に生まれて、普通レベルの給料で働いしている人」にもわからないよ。
きちがい兄貴が、ヘビメタをはじめなければ、きちがい親父の問題だけで済んだのに……。きちがい兄貴が、きちがいおやじとおなじ脳みそで、おなじ反応で、きちがいヘビメタをでかい音で鳴らすことにこだわってこだわってこだわって、実際に鳴らし続けたので、こまったよ。これも、ほかの人には想像ができないのかな? かならず、ヘビメタ騒音の効果を過小評価するんだよね。「そんなんじゃない」と言いたくなる。言いたくなって、言ったって、わからない。相手は、わからないままだよ。そいつの脳みそが、これまた、突然、かわるわけじゃないからな。そいつは、そいつが搭載している脳みそで考えるわけだし、そいつが搭載している脳みそは、そいつがいままで経験したことをもとにして、ヘビメタ騒音について考えるわけだから、そいつのいままでの経験がものをいうことになる。